1983年 イタリア 126分
監督:アンドレイ・タルコフスキー
映像詩というべき一篇。 ★★★★★
モスクワから来た詩人のアンドレイは通訳のエウジニアの案内で、18世紀にイタリアを放浪したロシアの音楽家の足跡を追っていた。
ある村で、彼は、世界の終末が近いと信じているドミニコという男に出会う。
監督のタルコフスキー自身もソ連からの亡命を行っている。そして撮った作品ということだ。
祖国を失った心情のゆえか、その画面は哀愁を帯びており、濡れているような美しい色彩だ。
物語自体も彷徨う心のように、あてどなくゆったりとすすむ。
イメージとして、水と火が作品にくり返しあらわれる。
どの場面をとっても、その映像だけで物語をはらんでいるように美しい。ため息が出てくる。
ときおり、主人公の記憶の風景、あるいは夢の風景か、がモノクロで挿入される。
イメージが重層化されて、物語にさらに奥行きを与えている。
主人公がドミニコに会う雨漏りがする廃墟のような一室の場面。
床にはしたたり落ちた水が溜まり、光りも乏しい。
端が欠けているような鏡に主人公の顔が映る。中世絵画の人物画のような暗さがあり、その人が抱えてきたものが投影されているようだ。
ひなびた田舎の温泉湯治場の場面。
寒さと温かさが奇妙に融合しているような、そんな印象を与える風景である。その寒さと温かさは主人公の心の温度でもあり、観ている者にもそれが伝わってくる。
最後近く、主人公はろうそくの火を消さずに干上がった浴場を横切ろうとする。
それが成功すれば世界が救われる、というドミニコの言葉にしたがっている。
風でろうそくの炎は吹き消され、主人公は幾度となく試みを繰り返す。
この場面は延々と切り替えなしで撮られている。祈るような、息が詰まるような場面である。
最後の場面の、古い小屋が建つ野原のような風景は、おそらくソビエトの故郷の風景、主人公の原風景なのだろう。
そこからカメラがひいていくと、そこは巨大な壁に囲まれた廃墟のようなイタリアの寺院の空間であることが判る。
コラージュのように思いが錯綜する画面である。
なにか、偉大なものが故郷の思いを包みこむ場所であったのか。そこに降りはじめる雪は、すべてを覆いつくそうとしているのだろうか。
圧倒的な映像美に言葉を失う。
もちろん映像はストーリーを語るためのもので、そのストーリーが要求した映像であるはず。
しかし、映像がストーリーを超えてしまっていると言ってもよいほど。
あまりのゆったりとした映像展開に”眠くなる映画”としても有名な作品。
しかし、夢見心地で観ても至福のひとときを過ごせるような、そんな映画です。