1983年 ギリシャ 140分
監督:テオ・アンゲロブロス
故郷を喪失した老夫婦の映像叙事詩。 ★★★★
アンゲロブロス監督の国境三部作のひとつ。以前に「ユリシーズの鐘」は観ている。
シテール島というのは、エーゲ海に浮かぶ神話上の島のようである。
ストーリーを要約すれば、ギリシャの歴史的な背景をふまえて、故郷を失った老夫婦がどこへともなく旅立つ物語、ということになる。
しかし、この映画に惹かれたのはなんと言ってもその映像の美しさである。
アンゲロブロス映画の特徴と言えば、曇天の日ばかりに撮られる、台詞が少ない、それぞれのカットが長い、などなどがあげられる。
実際に、冒頭の朝の光景を除いては、ほとんどの場面が青みがかった、沈み込むような色調である。
それぞれの場面での人物たちの動きはゆっくりとしていて、それをカメラは悠然ととらえる。
ゆっくりとした時間が流れる。
ギリシャの赤色革命(というのがあったそうだ)に失敗してロシアに逃亡していた老父が、32年ぶりに故郷へ戻ってくる。
帰郷はしたのだが、彼は故郷から追放されており、というか、故郷を喪失しているわけで、国境が彼には無意味なものだっのだろう。
映画の中で「エゴ・イネ(私です)」という台詞が何度となくあらわれる。
私は何者で、何処にいればよいのかと、くり返し尋ねているようだ。
映画は二重構造になっている。
「シテール島への船出」という映画を撮ろうとしているアレクサンドロス監督の物語と、そのアレクサンドロスが撮っている映画そのものが、同じ俳優で演じられる。
(もちろんアンゲロブロスは映画を撮ろうとしているアレクサンドロス監督をも、また映画に撮ろうとしているわけだ)。
この混じり具合が陰影を深めている。
しかし、あまりにゆっくりとした時間の流れ、人びとの動き、それに抑制された感情、それらに正直に言って眠くなる。
この感じは、ああ、タルコフスキーの「ノスタルジア」の時と一緒だと思っていたら、なんと、この映画の脚本を手がけたトニーノ・グエッラは、「ノスタルジア」の脚本も手がけていたとのこと。へえ~。
有名な最後の場面に向かう。
官憲によって夜の海の浮き桟橋にひとり放置された老父を、家族はどうすることもできず、ただ港に佇む。妻だけが共に船出することを望む。
しかし、何処へ船出する? 現実的に考えれば死へ向かうしかないわけだが、おそらくはここからは現実世界ではないところへ船出したのであろう。
彼らが戻ることができるのは”シテール島”だけだったのだろう。
老夫婦が朝靄の中を幻の島に向かって去っていく場面は、詩情以外のなにものでもない。
夢うつつで、何回か見直したくなる作品。