あきりんの映画生活

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「田園に死す」 (1974年)

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1974年 日本 102分
監督:寺山修司
出演:八千草薫、 新高恵子、 春川ますみ

詩劇というか、寺山ワールドというか。 ★★★★☆

昔から寺山修司は好きだった。
歌集は愛読していたし、天井桟敷の舞台も観に行ったことがある。
寺山は3本の映画を残したが、そのいずれでも彼が短歌、演劇で試みた物語世界の構築を映像であらわそうとしている。

そんな寺山ワールドとも言うべき世界についての予備知識がないと、映画を見はじめて、なんだ?これは?となってしまう。
独特の美意識、独特の自意識が充満している。

青森のイタコで有名な恐山のふもとで母と二人暮らしをしている少年が主人公である。
少年も母も顔は白塗りで、通常の映画ではないことは冒頭で宣言されている。これは作り物の世界なのだと、念を押している。
賽の河原、血の色をした池、黒マントに白塗りの顔をした村人、奇怪な人間ばかりが集まっている見世物小屋、などが描かれる。
壊れてしまっていつまでも鐘を打ち続ける柱時計や、川を流れてくる立派な段飾りの雛人形
独特の美しさ、恐ろしさ、懐かしさ、悔しさ、などが混沌と解け合った世界が展開される。

映画のタイトルは1964年、28歳の時に発表した第三歌集「田園に死す」からとられている。
その歌集に収められた短歌のいくつかが映画の画面にもあらわれる。
「新しき仏壇買いに行きしまま行方不明のおとうとと鳥」
「売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき」
「たった一つの嫁入り道具の仏壇を義眼のうつるまで磨くなり」

映画の根底に流れているのは”母殺しの願望”で、歌集では”亡き母”という表現が頻回にあらわれる。
実際には寺山の母は亡くなったりはしておらず、早くに亡くなった父に代わって家を支え彼を早稲田大学に進学させてくれている。

1978年に初版が出た「仮面画報」という本(私の愛蔵本の一つである)の中で寺山自身がこの映画について書いている。
それによれば、八千草薫の美しい人妻、春川ますみの空気女、新高恵子の間引き娘といった女たちは、「母のイメージの分身」として一人の少年を誘い込む迷宮のような存在である、とのこと。

少年が描いていた物語の嘘を、成人した主人公が暴いていく展開となる。
最後の場面、卓袱台を挟んで母と向かい合って食事をとっている主人公は、いつのまにか新宿の雑踏のただ中にいる。
素晴らしい映像美であった。

追記:
寺山が劇団「天井桟敷」を設立したのは1967年、31歳の時なので、この映画制作の7年前ということになる。
この頃までには寺山はすでに放送劇のシナリオを書いたりしていて、民放祭大賞(23歳)、放送詩劇イタリア賞、芸術祭奨励賞(いずれも28歳)、久保田万太郎賞(29歳)、芸術祭賞、放送記者クラブ賞(いずれも30歳)などを受賞している。
ものすごい才人だったのだな。