あきりんの映画生活

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「華麗なるギャツビー」 (2013年)

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2013年 アメリカ 142分
監督:バズ・ラーマン
出演:レオナルド・ディカプリオ、 キャリー・マリガン、 トビー・マグワイア

純情な男の悲恋物語。 ★★★☆

原作はフィッツジェラルドの有名な小説だが読んでいない。
ロバート・レッドフォードの映画「華麗なるギャツビー」も観ていない。
ということで、まったくの予備知識なしに観た。

映画は、ニック(トビー・マグワイア)がギャツビー(レオナルド・ディカプリオ)という謎の大富豪の隣人について語るという体裁を取っている。
回顧しての物語というのは悲劇に結びつくことが多い。
あのときは未だ、後にああなるとは誰も知らずにいたのだ、といった感慨が否応なく入り込んでくるのだから。
この作品も、純情に一途に一人の女性を想った男の悲恋の話である。

前半に、謎の大富豪ギャツビーの大邸宅で開かれる豪華絢爛なパーティの様子が描かれる。
監督が「ムーラン・ルージュ」のバス・ラーマンなので、こういったショー場面はお手の物なのだろう。
この前半の猥雑な賑やかさが、終盤の人がいなくなっていく大邸宅の寂しさを際立たせていた。

登場人物は皆胡散臭い。というか、どこか鼻持ちならない。
だいたいが1920年代の(大恐慌前の)浮かれた時代の大金持ちたちの話だから、悩み事といっても庶民の感覚からは浮いている。

なにかワケありで大金持ちになったようなギャツビーは、大金にものをいわせて大邸宅を買い、空虚なパーティを繰り広げる。
その理由は、ただ一人の女性を振り向かせたいから・・・。
う~ん、庶民感覚からは遠いぞ。

その想われ人のデイジーキャリー・マリガン)にしても、どこか自分勝手。
自分に嘘はついていないのだろうけれども、状況にながされて優柔不断。
その曖昧さが周りのものを不幸にしていくだけ。

物語の語り手であるニックも、友達面をして不倫の手助けをしておきながら、自分は”いつも傍観者”で逃げている。
それにデイジーを寝取られる旦那も、偏見と差別意識の塊のような放漫な人物で、人のことは棚に上げて不倫しているし・・・。

ということで、共感できる登場人物は、皆無(苦笑)。
しかし、映画自体は好くできていた。
それぞれが嫌みな人物なのだけれども、その心の葛藤はよく伝わってくる。人は人それぞれなのだ。
それがびしびしと伝わってくる。

ディカプリオは好演。個人的には、今までの彼のなかではいちばん好いのではないかと思えた。
ニックに仲介を頼んでデイジーをそれとなく招待したお茶の会。
彼女が花で埋め尽くされた部屋に入って驚きの声を上げる。
てっきりギャツビーに話しかけていると思っているのだが、実は彼は部屋にはいなかったのだ。

緊張のあまりに耐えきれなくなって部屋を出てしまったのだろう。
そして雨の中をずぶ濡れになったギャツビーが戻ってくる。
このくだりは、あまりにも真剣なために不安でいっぱいになっているギャツビーの想いをよくあらわしていた。

ギャツビーはあまりにも一途で、悲しいほどに純情だった。
それに比べてデイジーの想いは弱い。
想いが弱いので、状況に流されていく。
それはそれで哀れでもあるのだが、デイジーの想いの弱さのためにギャツビーの想いはさらに悲しいものとなってしまう。

想いの激しい男の純情さ、想いが弱いために(決して嘘ではないのだが)流されていく女の狡さ、そんなものを感じてしまった。

うわべが豪華絢爛であればあるほど刹那的で、その内実は薄く哀れ。
湖のむこうに霧にかすむ緑色の灯りが切ない映画だった。