2015年 アメリカ 115分
監督:エドワード・ズウィック
出演:トビー・マグワイア
天才チェス・プレーヤーの苦悩。 ★★★
この映画はアメリカの天才チェスプレイヤーのボビー・フィッシャーの生涯を描いている。
彼はIQ187の頭脳の持ち主で、幼い頃から抜群の強さだったらしい。
15歳という最年少でグランドマスターの称号も得ている。
将棋や囲碁と比較すると、チェスは完全に数学的なゲームだという。
言いかえれば、勝つための戦略が計算できるゲームだとのこと。
ということは、チェスの達人の頭脳はコンピューターなみに計算をして、ゲームをおこなっているということになる。
それだけの天才になれば、その精神状態は常人の理解を超えるものになるだろうことは、容易に想像がつく。
主人公のフィッシャーも、神経衰弱と呼びたいほどに些細なことに脅える精神の持ち主である。
その一方で、自信家でエゴイスト、エキセントリック誇大妄想と、とても実生活ではお付き合いできない人種である。
そんなフィッシャーをトビー・マグワイアが熱演している。
チェスの世界王者は24年もの間、ソ連のボリス・スパスキーが保持し続けていた。
やがてフィッシャーはスパスキーにアメリカの威信を一身に背負って挑戦することになる。
米ソの冷戦時代にあって、キッシンジャー長官からも激励が入るほどの、アメリカの熱狂ぶりだったようだ。
映画ではチェスのルール説明はまったくない。
そして、映画の面白さもルールを知らなくてもまったく損なわれることはない。
映画はチェスの面白さを描いているのではなく、このゲームに賭けた人間を描いているからだ。
先にも書いたようにチェスは計算できるゲームである。
コンピューター・プログラムも早くから開発され、人間もコンピューターに叶わなくなったほど。
つまり、チェスで強さを極めようとすれば、それはコンピューターのように機械的な思考をし続けなくてはならないということ。
それが出来る人がチェスの天才ということになる。
いいかえれば、チェスの天才の頭脳は、人間の神経ではなくなっていくということ・・・。
フィッシャーは自分が何者かに狙われているのではないかという脅迫観念にもとらわれる。
ちょっとした物音でも精神が乱されて、平穏を保てなくなる。
世界選手権大会では、報道陣のカメラの音にも精神を尖らせる。
観客の咳払いにも神経を乱される。
こんな会場では自分はチェスなんか指せないっ!
・・・どう考えたって異常。
天才とは、他の人には真似のできない貴重な存在なのだが、だからといって、天才であることが本人を幸せにするとは限らない。
天才は、その人物を常人からはかけ離れた地点に連れ去ってしまう。
さて、スパスキーとの戦いはどうなったのか。
(以下、ネタバレ)
スパスキーとの敗色が濃厚となったときに、フィッシャーは起死回生の一手を打つ。
その一手の素晴らしさを理解したスパスキーは立ち上がって拍手でこれを讃える。
通常はそんな行為がおこなわれることはないのだという。
長年の世界王者にそのような行為をさせるほどに、その一手は素晴らしかったわけだ。
しかしその後、フィッシャーは完全に精神を病んでしまい、永く入院生活を送ったようだ。
そして晩年は放浪者となって、やはり奇異な生活を送ったようだ。
う~ん、天才は常人には理解できない苦しい何ものかを抱え込まなくてはならないということが、突きつけられる作品だった。
(余談)
ウィペディアによれば、フィッシャーは晩年は日本でも生活しており、日本人女性と事実婚もしていたとのこと。
へえ~。