あきりんの映画生活

映画鑑賞だけのブログです(苦笑)。★★★★が満点評価ですが、ときに思い入れ加算があります。

「アンダーグラウンド」 (1995年)

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1995年 フランス 171分
監督:エミール・クストリッツァ
出演:ミキ・マイノロビッチ、 ミリャナ・ヤコビッチ

消滅した国の悲哀を描く。 ★★★★

171分という、かなりの長さの映画。
しかしまったく飽きさせない。それだけのエネルギーが充満している映画。

第二次世界大戦が勃発してユーゴ王国はナチスに侵略される。
そして戦後、チトー大統領はユーゴスラビアを建国するのだが、クロアチアセルビアへと分裂してユーゴスラビアという国は消滅してしまう。
この映画はそうやって消滅していった祖国への思いを、奇妙な明るさで描いている。
ただ者ではないよ。

ナチスに対抗する闘争に身を投じたマルコとクロ、それに二人が執着する美しい女性ナタリアが、主人公となって物語が進む。
しかし、まともな展開の物語ではない。有り体に言えば、物語は破綻している。
状況の本質を描くために、現実的な状況は突きぬけて、戯画化されたとも言える状況にまでなっていくのだ。

街の地下には、ナチスの目を逃れるための大がかりな地下室が準備されていた。
マルコは、負傷したクロやその家族、さらに抵抗運動の仲間までもをこの地下質に匿う。
そしてひたすら党員としてのパルチザン活動をおこなう。
その一方でナタリアとの甘い生活も享受する。

原色でごてごてと描かれたような迫力がある。
細かいことは気にしない。荒唐無稽である。
ブラスのノリのいい音楽が要る!となれば、物語に無関係に楽団が主人公たちについてあらわれる。
このスラブ音楽(?)が映画の暴力的な明るさに好くマッチしていた。

やがてナチスは敗北し、闘争は終了し、マルコは英雄となる。
それなのに、マルコは地下の人々にはまだ戦争が続いているように思わせて地下室からの開放をおこなわなかったのだ。
戦況を伝える偽のラジオ放送を流し、外はまだまだ危険だ、と騙し続ける。

一見するとふざけているようにも見える映画なのだが、その ”ふざけぐあい” が半端ではない。
そのために、堅苦しい政治映画を軽々と乗り越えて、ナンセンス映画の境界近くにまでいっている。
戦後のユーゴスラビアの情勢は悲劇的だ。
今度は内線が勃発し、国は解体されていく。
地下室の人々はそんな祖国の情勢を知らされることもなく、ひたすら地底で暮らしていたのである。

しかし、ある事件が起きて地下室は崩壊する。
クロたちが見た外の世界には、すでに自分たちが求めていたユーゴスラビアという国はなかったのだ。

(以下、物語の展開に触れています)

そして物語は急展開をみせる。
内戦の現場で武器商人となっていたマルコとナタリア、一方、軍事作戦の幹部となっていたクロ。
マルコは弟に殺され、武器商人だとされたマルコはナタリアと友にクロに焼かれる。
しかし、そのクロにも死が待っていたのだ。
物語の構成は、まったく破綻しているといってもいいぐらいにとりとめがない。
この物語はどこまでいってしまうのだろう?と不安になるほど。

最後の場面、岬の上でこれまでの登場人物が ”復活” して一堂に会している。
楽隊も耳に残るスラブ音楽を賑やかに奏でている。
死へとむかった彼らだったが、この宴では陽気に踊っているのだ。
やがてみんながいる岬が半島から割れて海に漂いはじめる。
祖国が陸地から切り離され、海へと流されていくのだ。
“むかし、あるところにあった国”という文言が画面に流れる。

クロアチアでもセルビアでもない、幻想にすら思える「祖国」への思いがラストで溢れ出していた。
漂いはじめた祖国で、音楽はけたたましく鳴り響き、登場人物は騒々しく踊り狂っている・・・。

映画として描いているものはまったく違うのだが、アルゼンチンのカルト映画「エルトポ」を思い浮かべていた。
カンヌ国際映画祭パルムドール賞を受賞しています。