1965年 日本 183分
監督:内田叶夢
出演:三國連太郎、 左幸子、 伴淳三郎、 高倉健
終戦直後の刑事ものサスペンス。 ★★★★
あの「砂の器」と双璧をなす邦画の傑作映画。
3時間越えの長尺ものだが、だれることはまったくなく、見始めれば一気に見てしまう。
なんともすごい迫力があるのだ。
時代は終戦直後の昭和22年。
青函連絡船の沈没事故と、北海道岩内での大火災が物語のはじめに起こる。
火災は質屋の店主を殺害し金品を奪った犯人による放火であり、そして連絡船事故では身元不明の死体がふたつ見つかったのだ。
犯人役の犬飼太吉に三國連太郎。彼を執念で追う刑事に伴淳三郎。
そして逃亡中の犬飼に一晩だけ人生が交差する女郎・八重に左幸子。
もちろん主役の三國連太郎の演技は重厚で、この長い物語を牽引していくのだが、それ以上にこれは左幸子の映画だったと思える。
それほどに彼女の存在感はすごい。
終戦直後の日本は本当に貧しかったのだな、と今更ながらに思う。
闇市が建ち並び、売春が公然とおこなわれていた(赤線、青線という言葉もあった)。
みんな、その日の食料に飢えていて、生き延びることに必死だった時代だ。
私の記憶にあるのはそれよりは後の時代の日本だが、憶えている風景はやはり貧しい感じだった。
(物語のおおよそは誰でも知っていると思うので、以下はネタバレ前提です)
実際のところは、犬飼自身は質屋強盗をしたわけではなく、ただ後ろ暗い大金を我が物にしてしまっただけ。
そしてお金のために我が身を売っている八重にお金を分け与えたりもする。
刑事の調べから極貧の生い立ちだった犬飼だが、決して悪人ではない。
それなのに、自分を慕って会いにきた八重を殺してしまう・・・。
この映画にしても「砂の器」にしても、過去の暗い記憶から決別しようとして主人公は犯罪を犯している。
どちらの映画でも、過去に関係して主人公を訪ねてきた人は、本当は悪意などどこにもない人だったのに。
そこに人間の愚かさが突き出されてきているようだ。
繰り返しになるが、この映画でもっとも印象的だったのは左幸子。
貧しさの中の彼女の、犬飼にもう一度会ってお礼を言いたい、という希望だけにすがっての生き方が、なんとも切ないのだ。
そしてその純真な気持ちが、同じように貧しかった犬飼の恐れによって打ち砕かれてしまう。
この人生のめぐり合わせの残酷さが余韻を残す。
映画の冒頭にながれるナレーションは、「飢餓海峡、それは日本のどこにでもみられる海峡である。その底流に我々は貧しい善意に満ちた人間のどろどろとした愛と憎しみの執念を観ることができる。」
この映画はまさにそれを伝えていた。
やはり邦画の一大傑作である。