2001年 フランス 95分
監督:フランソワ・オゾン
出演:シャーロット・ランプリング
夫の幻想と生きる妻。 ★★★
フランソワ・オゾン監督の初期の作品。
最近も次々に映画を撮っているオゾン監督だが、この作品は妙に捻ったところのない直球作品。
それだけに印象の深いものになっていた。
長年連れ添って初老にさしかかったマリー(シャーロット・ランプリング)とジャンの夫妻。
ところが、バカンスに来た浜辺でマリーがうたた寝をしているあいだにジャンが行方不明になってしまった。
一人で泳いでいたジャンは溺れてしまったのか?
ジャンの遺体も見つからないままに、マリーはひとりぼっちの生活をはじめる。
この映画の魅力はなんといってもシャーロット・ランプリングの妖しげなたたずまい。
左右がちょっと不対称な眼に、ときおり軽く歪む薄い唇。
とても理性的にみえるのに、本当は何を感じているのか外からはうかがい知れないような深いものを秘めている感じがある。
ジャンがいなくなったあとのマリーの生活を友人たちが暖かく支えてくれる。
しかし、マリーの様子はすこしおかしい。
彼女はまるでジャンがまだそこにいて、一緒に暮らしているかのようにふるまうのだ。
えっ、それ、本当にそう感じているの?
マリーは誰も居ない部屋のなかで夫に向かって話しかける。
マリーはひとりぼっちの食卓で夫と向かい合っているかのような朝食を取る。
夫の死を受けいれられずに、幻想の世界へ入り込むことで自分を保っている彼女の姿が、なんとも痛々しい。
しかも、夫の死は事故ではなく自殺だったのではないかとの疑いも・・・。
幸せだと思い込んでいた二人の結婚生活も、本当は幻だったのか?
自分は夫を愛していたのだが、夫も同じように自分を愛してくれていると思っていたのは、幻だったのか?
一人になったマリーに言い寄ってくる男もいて、ベッドを共にしたりもするのだが、あなたは軽いわ、と平然というマリー。
息子が死んだのは貴女のせいだとマリーをののしる夫の母も登場してくる。
が、物語自体はストレートである。
それをランプリングの魅力で見せてくれる。
(以下、最後の場面にふれます)
ふたたび砂浜にやってきたマリー。
握りしめる指のあいだから砂はこぼれていく。
確かにとどめることのできるものはなにもない、と言っているよう。
そして、浜辺の彼方に見つけたジャン(に似た人?)に向かって、マリーは砂に足をとられながら走っていくのだ。
派手なところのない地味な印象の小品。
しかし、あの「スイミング・プール」に先駆けての、オゾン監督、シャーロット・ランプリングの顔合わせによる佳品ではないだろうか。