1956年 アメリカ 80分
監督:ドン・シーゲル
出演:ケビン・マッカシー、 ダナ・ウィンター
侵略SFの古典もの。 ★★★
原作はジャック・フィニイの「盗まれた街」。
この小説は何回も映画化されているが、今作がその最初のもの。さすがに面白い。
主人公はある街の医師。
最近、住民が妙な言動を訴えるようになった。親しい人が、たとえばお母さんであるとか、お祖父さんであるとかが、違う人のようだ、と言うのだ。
でも、どう見たって本人そのものだよ。気のせいじゃないかい。
という導入部。
物語の内容は有名なので、ほとんどの人が知っているだろう。
この映画が優れているのは、派手なアクションや特映もないのに、それこそ画面から恐怖をじんわりと感じさせるところ。
モノクロの画面で、光と影がその感じをいっそう助長してくれる。
エイリアンは大きな莢のようなものの中でぶくぶくと泡を出しながら育ってくる。
そして次第に人間の形になっていく。
本物の人間が眠っている間に、エイリアンは人間本人と入れ変わってしまうのだ。
眠るなと言われてもなあ。人間は眠らないと生きていけないしなあ。
映画は”恐怖の街”から逃げてきた主人公医師の回想、という形式をとっている。
だから、主人公の恐怖感が観ている者の感覚によりそって話が展開してくれる。
エイリアンに乗っ取られてしまった人間は、すべての感情を失っている。
怒りも悲しみもない。喜びも愛情もない。野望も信念もない。
乗っ取られてしまった人間は、それは幸せなことだよ、と言って、自分たちの仲間に早くなるように迫ってくる。
う~ん、これが恐いところだな。
この映画が作られた時代は、あの赤狩りがハリウッドにもあったころのようだ。
うがって考えれば、感情をなくして、個性をなくしたみんなが同じように幸せになるのだよ、というのは共産主義思想なのだ、と言っているかのよう。
ま、そんな政治的なことは考えなくても、この映画は充分に面白い。
SF映画が好きな人は、一度は観ておくべき映画でしょう。
1978年に「SF/ボディ・スナッチャー」というリメイク作があり、こちらも面白いとの評判。
機会があれば、見較べてみたいものだ。