2017年 129分 日本
監督:黒沢清
出演:長澤まさみ、 松田龍平、 長谷川博己
エイリアンもの。 ★★★☆
行方不明になっていた夫・真治(松田龍平)が帰宅する。
しかしどこか別人のような言動の夫に妻の鳴海(長澤まさみ)は途惑う。
それからの真治は毎日ふらっと散歩に出かける。何をしているのだろう? なんのために散歩をしているのだろう?
同じ頃に町では一家惨殺事件が発生し、一人生き残った女子高生が姿をくらませる。
その取材をしていたジャーナリストの桜井(長谷川博巳)は奇妙な言動の少年と知り合う。
この映画にはUFOとかエイリアンそのものの異形のものとかは一切出てこない。
それでもエイリアンが地球を侵略しようとしているSF映画なのだ。
原作は前川知大という人の舞台劇脚本らしい。
そのためか、会話による心理劇のような展開をみせている。それが独特の不穏感、異世界の到来の予感、のようなものを上手くあらわしていた。
鳴海は夫から、僕は地球を侵略しに来た宇宙人だ、地球のことはよく知らないから君にガイドしてほしい、と言われる。
えっ、あなたは一体なにを言っているの?
一方の桜井も奇妙な少年と少女から同じようなことを聞かされる。侵略が始まれば地球は3日で占領されるよ。
えっ、君たちは何を言っているんだ?
長澤まさみは、これまで「コンフィデンスマンSP」のようなはっちゃけた役のイメージが強かった。
コミカル風味の軽~い感じのお姉さんというイメージで観ていた。
でも、違った。この映画で彼女が落ち着いた正統派美人であることを今更ながらに再認識した。
そしてこの映画のよかった点は、夫役に松田龍平を起用したところ。
彼の、無表情でいながらなにがしかの感情を押し殺しているような雰囲気がこの映画によく合っていた。
地球人の身体に乗り移った3名の宇宙人は、地球を侵略するために人間の持つさまざまな概念を集めようとしている。
人間の頭の中からその概念を抜き取ってしまうのだ。
抜き取られた人はその概念を失ってしまう。怒りという概念を抜き取られた人は、怒りというものを知らない人になってしまうのだ。
これは形而上的な意味合いも含ませていて面白い設定だった。
そんな恐ろしいことが起こっているのに、それはちょっとした犯罪のような扱いでしか捉えられていなくて、人々の日常はなんの変わりもないように見えている。
「散歩」というの日常性の陰に隠れている「侵略者」という非日常性。
このかけ離れた二つを不穏な違和感で繋げているところが本作の肝だった。
その身体には宇宙人が入り込んでいると知りながらも夫を愛している鳴海。
そして宇宙人に共感さえ始めてしまう桜井。
彼は憑依した肉体が死のうとしている宇宙人に自分の身体を提供するほどになっていた。
いってみればこの映画は”エイリアンの地球侵略もの”なのだが、他のそれらの映画と大きく異なるのは、描かれているのが極端に局地的なこと。
一つの街の限られた人の間でだけ起こっている物語なのだ。
全地球的な侵略の始まる前哨戦がある街で起こっている、という描き方なのだ。
なるほど、元が舞台劇だものね。面白い捉え方だよ。
さあ、宇宙人の侵略はどうなる?
とても地球人が抵抗できるような次元のものではないぞ。
そう、ここで宇宙人が知らなかった概念を鳴海が信治に教えるのだ。・・・それは”愛”。
ラストの長澤まさみの姿には唖然としてしまうが、でも、君が地球を救ったんだよ。
黒沢清は少し癖のある映画を撮るというイメージがあった。
本作はそれが好い方向で監督の持ち味と合致したようだった。
芸術選奨文部科学大臣賞を受賞しています。