あきりんの映画生活

映画鑑賞だけのブログです。★★★★が満点評価ですが、ときに思い入れ加算があります。約2000本の映画について載せていますので、お目当ての作品を検索で探してください。監督名、主演俳優名でも検索できます。

「レオン」 (1994年)

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1994年 アメリ
監督:リュック・ベッソン
出演:ジャン・レノ、 ナタリー・ポートマン、 ゲイリー・オールドマン

孤独な殺し屋と少女の出会い。 ★★★★☆ 

 

リュック・ベッソン監督が 「ニキータ」の次に撮った作品。
もう物語はあまりにも有名だろう。

 

凄腕の殺し屋レオン(ジャン・レノ)と12歳の少女マチルダナタリー・ポートマン)が出会い、孤独な気持ちを寄り添わせていく。
チルダの最愛の弟を殺したのは実は麻薬捜査官スタン(ゲイリー・オールドマン)で、マチルダはその復讐をしようとする。

 

この映画の魅力の大きな部分を担っているのが、マチルダを演じたナタリー・ポートマンだろう。
子どもの純真で爛漫な可愛らしさがあるかと思えば、時折り大人びた色気のようなものも感じさせる。
その両方が同居している魅力を見せてくれていた。
子役としては「タクシー・ドライバー」のジョディ・フォスターが有名だが、この映画のポートマンはそれ以上と思えた。

 

寡黙な殺し屋というのはストイックで、自分だけのこだわりを持っている。
あの「サムライ」のアラン・ドロンは部屋から出るときにソフト帽の縁を整えるのがルーティンだった。
この映画のレオンも鉢植えの観葉植物を大事に育て、常に牛乳を飲む。
殺しに出かけるときはニット帽に丸レンズのサングラスをかける。そしてコートの中には様々な殺しの武器を隠し持っている。
このこだわりが彼の孤独さを際立たせているようだった。

 

孤独な二人が気持ちを寄せあっていく様が、なんとも切ない。
チルダが尋ねる、「大人になっても辛いの?」
レオンは素っ気なく答える、「辛いさ」
レオンのこれまでの人生は語られていないが、それだけ二人は辛い日々だったのだと思える。

 

鍛錬の毎日に飽きたマチルダがゲームをしようと持ちかける。
何をするのかと持ったら、コスプレ・ゲームだった。
チルダマリリン・モンローチャップリンの真似をする。愉快。
レオンがジョン・ウェインの真似をしているのに、マチルダイーストウッドかと答えるところも愉快だった。
辛く悲しいことばかりが続くこの映画で、唯一のホッとする場面だった。

 

狂気の麻薬捜査官スタンを演じるゲイリー・オールドマンも印象的。
こんな理不尽な悪い奴がいるから困るんだよなあ。
変に賢いし、それなりの権力も持っているから始末が悪い。

 

ホテルの部屋に警官隊や、SWATまで押し寄せてきたときは、これからどうすればいいんだ、とハラハラしていた。
瀕死のレオンが、マチルダからの預かりものだ、と言ってスタンに何かを握らせる。
はて、いったい何だろうと思いながら観ていた。
あ、それか・・・。コートの下にいろいろな武器を隠し持っていた映画始めの頃の絵柄が、ここで活きていた。

 

最後、マチルダは鉢植えだった観葉植物を学園の庭に植えかえる。
これでやっと根無し草でなくなるのだな。

 

リュック・ベッソンは「ニキータ」とこの「レオン」で才能の大部分を使い果たしてしまったのではないか、というのはちょっと失礼か。
しかし、そう思ってしまうほどにこの映画は好かった。

 

「やがて復讐という名の雨」 (2007年)

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2007年 フランス
監督:オリビエ・マルシャル
出演:ダニエル・オートゥイユ

暗い刑事もの。 ★★★☆

 

同じ監督、主演の「あるいは裏切りという名の犬」の雰囲気がよかったので、これは気になっていた作品だった。
原題は「MR73」で、これは終盤に出てくる拳銃の名前である。
邦題は凝っているなあ。こういうタイトルの好きな社員がいたのだろうなあ。

 

主役は、事故で子どもを失い、妻は植物人間になってしまった刑事のシュナイデル(ダニエル・オートゥイユ)。
かっては優秀な刑事だったらしいのだが、今はアル中状態で署内でも問題ばかり起こしている。
そんな彼は執拗に猟奇的な連続殺人犯を捕まえるべく捜査していた。

 

平行して、もうひとつの事件が描かれていく。
こちらは25年前の猟奇的な連続殺人事件の被害者遺児と犯人の物語。
父母を無惨に殺された娘のジュスティーヌは、収監されていた犯人が仮釈放されると聞いてトラウマに襲われる。
しかもその犯人はジュスティーヌを襲いそうなのだ。

 

とにかく暗く、重い雰囲気が最初から最後まで続く。
主人公がアル中で希望のない生活を続けているので、観ている者は感情移入もできない。
しかしこの雰囲気はハリウッドものにはないもの。好きな人はハマる要素を持っている。

 

それにダニエル・オートゥイユの存在感がすごい。
とてもパトリス・ルコント作品の「ぼくの大切なともだち」や「橋の上の娘」で飄々とした人物を演じていた人とは思えない重さで迫ってくる。
さすがフランスの名優である。
シュナイデルを何とかして庇おうとする女性署長も好い感じだった。

 

物語の展開はゆっくりとしている。
重厚というか、丁寧というか、澱んだ雰囲気をあらわしているというか。
カメラはとても好い。パリの町並みや、山里風景の映像、そして登場人物達を捉える構図など、美しい。

 

二つの連続猟奇殺人事件が直接にクロスすることはない。
後半でシュナイデルとジュスティーヌが出会って、わずかに繋がりが生じるだけである。
そこが肩すかしのようで、不満に感じる点にはなっている。

 

ユーモアとか笑いとかとはまったく無縁の地点で物語は進み、最後まで救いはどこにもない。
わずかに新しく生まれた命の存在だけがかすかに明るかった。
この独得の暗さ、重さの雰囲気を味わう映画と言ってもいい。

 

この作品の次に「「いずれ絶望という名の闇」という3作目があるそう。
気になるなあ。

 

「蜘蛛の巣を払う女」 (2018年)

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2018年 アメリカ 115分
監督:フェデ・アルバレス
出演:クレア・フォイ

「ミレニアム」映画化第5弾。 ★★★

 

「ミレニアム」はスェーデン映画「ドラゴンタトゥの女」を始めとする3部作で大ヒットとなった。
この3部作の内容はアメリカ映画「ドラゴンタトゥの女」でリメイクされている。
一方で、原作小説は「ミレニアム」の第4部が、作者を新たにして書かれた。
本作はその第4部の映画化。
だから作品としては5作目だが、内容としては第4部ということになる。

 

舞台は寒い、寒いストックホルム。空の色はいつも曇っていて、低い。
物語もやはり暗く、陰鬱な雰囲気が漂っている。
それがこのシリーズの持ち味(北欧サスペンスもののイメージでもある)。

 

ハッカーのリスベット(クレア・フォイ)はレスビアンで、背中にはドラゴンの刺青を背負っている。
メイクも黒基調。パンクというか、ヘビーメタルというか、そんなイメージである。
(小心で平凡な一市民である私としては、実生活では絶対にお近づきになりたくないような人種だよなあ)

 

そんなリスベットに、人工知能研究の研究者であるバルデル博士から依頼がくる。
博士が開発した核攻撃プログラムを、アメリカのNSA(国家安全保障局)から取り戻してほしいというもの。
天才ハッカーであるリスベットならそんなミッションは簡単なのでは・・・。

 

ところがリスベットの前に立ちふさがったのは、怨念に満ちた彼女の過去だった。
父や、双子の妹カミラが亡霊のように現れてくる。

「皆を助けるのに、なぜあの時・・・私だけを助けてくれなかったの?」
幼かった日のリスベットがとった冒頭の行動が大きな意味を持ってくる。
そして白い雪景色のなかでの黒のリスベット、赤のカミラ(シルヴィア・フークス)。
この対比は見事だった。

 

アメリカ映画としては2作目ということになるのだが、前作とは監督もヒロインもまったく交代している。
ヒロインのクレア・フォイは初めて観る女優さんだった。
これまでのリスベット役のノオミ・ラパスルーニー・マーラーに比べると、そのヒロイン像はやや物足りなかった。
異様にも感じられるほどの病的雰囲気が少なかった。これは残念ポイントだった。

 

しかし、前作に比べるとアクションは派手になっている。
物語の陰影は少なくなっているわけだが、その分だけ単純に観やすくなっている。
エンタメ度が上がったといえるかもしれない。

 

それはそれでいいのだが、やはりリスベットものとしてはもう少し陰鬱であって欲しいぞ。
ルーニー・マーラー、ダニエル・クレイグのコンビ復活を希望!

 

「浅田家!」(2019年)

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2019年 日本 127分
監督:中野量太
出演:二宮和也、 妻夫木聡、 平田満、 風吹ジュン、 黒木華

ある写真家の物語。 ★★★

東日本大震災の繋がりで、最近の映画から。

写真家の浅田政志の実体験を基にした映画。
彼は、両親や兄と一緒に消防士やレーサーなどさまざまな職業に扮するユーモラスな家族写真集「浅田家」で木村伊兵衛写真賞を受賞している。

 

前半は、浅田政志(二宮和也)が写真家になり、家族写真を撮ることで自分を確立していく物語。
そのきっかけも好い。
父親(平田満)が、消防士になるのが小さい頃の夢だった、と言うのを聞いて、家族全員で消防士に扮した写真を撮ったのである。
この発想自体が”家族”を想う優しい気持ちから出てきているところがよい。

 

母親(風吹ジュン)がなってみたかったものは?と聞かれて、政志が撮った写真には笑ってしまった。
まさか極道一家写真かよ。いいねえ。

 

政志を囲む浅田家ファミリーがとても好い感じである。
ちょっと頼りなげだが家族の芯となっている父、どこか突きぬけたところのある母、そして優等生の兄。
とにかく皆、政志のことが好きでたまらないのだ。
それがひしひしと伝わってくる。

 

映画の後半は、あの東日本大震災と直面する。
災害にあった沢山の人に対して写真家としてできることは何か、との模索と、その解答だったのだろう。
どこの家族でもお父さんは写真を撮る係で、家族写真にお父さんはあまり写っていない、ということも、父親の家族への愛情なのだな。

 

うわべはのほほんとしているようで、実は少し寂しげな風情を漂わせている二宮君が好い。
まあ、以前からファンではあるのだけれども、この映画でも自然体で演じている。
どこか憎めないやる気の無さと、スイッチが入ったときの真面目なやる気感が、なんともいい具合にあらわれている。

 

少し前の「検察の罪」ではキムタクと競演していたが、やはりニノの方が好かった。
キムタクは何をやってもキムタクから抜け出せないが、ニノは演じている人物に自然に寄りそってしまう。
そこが役者としてすごいと思う。
硫黄島からの手紙」でニノの演技をクリント・イーストウッド監督が認めていたとのことだったが、それはどのあたりでだったのだろうか?

 

とても真面目に撮られている映画なのだが、それと同時にユーモア感覚もある。
映画の冒頭は、父親が危篤状態となり、政志が急いで帰宅してくる場面だった。
そこから、幼かった政志が父親の影響を受けて写真家になって、という風に物語がすすんでいた。
そして映画の最後は、再びその父親の危篤場面に戻ってくるのである。
しかしここでやられた。そうか、そうだったのか、これこそ浅田家!だったのだな。

 

気持ちがほのぼのとしてくる良品でした。
ワルシャワ映画祭で最優秀アジア映画賞を取っています。

 

「ヒミズ」 (2011年)

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2011年 日本
監督:園子温
出演:染谷将太、 二階堂ふみ、 神楽坂恵、 黒沢あすか、 吹越満、 でんでん

絶望的な青春。 ★★★★

 

破綻した物語、戯画的に誇張された登場人物たち。
リアリティからは離れたところで物語は展開される。
それなのに、このインパクトはどうだ。園監督のあの「愛のむきだし」にも通じる迫力がこの映画にはあった。

 

タイトルの「ヒミズ」は、おそらくモグラの一種である”日不見”から来ているのではないか。
暗い地の中を、必死に土をかき分けて生きていくしか術を持たないものなのだろう。
この映画の主人公を観ていると、園監督がこのタイトルをつけた感覚はよく伝わってくる。

 

15歳の住田祐一(染谷将太)の夢は、誰にも迷惑をかけない平凡な大人になること。
しかし彼を取りまく環境は生やさしいものではなかった。
多額の借金を残して失踪している暴力的な父親、男と酒に明け暮れている母親。
彼は河辺の貸しボート屋で必死に暮らす。

 

とにかく、園監督の作品のご多分に漏れず、この作品も重く、神経が痛められる。
こんな理不尽なことばかり続いて、主人公はどうやって生きていく希望を見いだせるのだと思ってしまう。

 

救いとなるのは、そんな住田に好意を抱いて勝手に世話を焼きに来る同級生の茶沢景子(二階堂ふみ)の存在。
そして貸しボート屋の周りに暮らすホームレスの人たち。
弱者が助け合って暮らそうとするのだが、問答無用の暴力はそれを赦そうとしない。

 

脚本も出来上がっていたときに3・11東日本大震災が起こった。
園監督は脚本を大幅に変更して、被災地である石巻市での映像も挿入している。
登場人物のひとりの背景にもそれを被せている。
このように、自分の感じたものを破綻など気にせずに作品にぶち込むところがその作品の迫力につながってるのだろう。

 

強者と弱者、善と悪、親と子、罪と罰・・・。
それらの本質に関わる部分を肥大化させて誇張させて、園監督は物語を作り、映像化してくる。
始めにも書いたが、そのためには、リアリティなどくそくらえ!といった地点に立っている。
(あんなきれいなお姉さん(神楽坂恵)がホームレスで、しかもいつも真っ白なきれいな服を着ているなんて! ありえな~い!)

 

物語は狂気となって突き進んでいく。
どこまで行ってしまうのかと、呆気にとられるほど。
最後、茶沢景子の「ガンバレ!」という声と共に、二人は走る。
それは、死ぬな、生き続けろ、というメッセージだったのだろう。

 

当時は無名に近かった染谷将太二階堂ふみは、ヴェネチア国際映画祭で新人俳優賞を取っている。
二人そろって、というのはすごいことだな。

 

「ボスタ! 踊る幸福の赤いバス」 (2005年)

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2005年 レバノン 118分
監督:フィリップ・アラクティンジ
出演:ロドニー・エル・ハッダード、 ナディーン・ラバキー

ロード・ムーヴィー。 ★★

 

15年ぶりにフランスから内戦後の故郷レバノンに戻ってきた振付師のカマール。
斬新な振り付けのタブケ(レバノンの民族舞踏です)で仲間とともにコンクールに出場するが、古い伝統を重んじる審査員からは酷評されてしまう。
だが彼らはあきらめずに、古いバスを赤く塗り直して巡業の旅に出る。

 

ボスタとは「バス」を表すアラビア語
伝統的な民族舞踊であるダブケに新しいものを取り入れようと頑張る、いわばミュージカル・ロード・ムービー。
インド映画のようにいきなり唄い始め、踊り始める。
ときには画面に向かって歌っている。かなり好き勝手に作った映画である。

 

残念だったのは、映画の中心ともいうべきダブケというレバノンの踊りについてまったく知識がなかったこと。
伝統的なタブケ、それに新風を取り入れたというテクノ・タブケ、と言われても、違いもよく判らない。

 

だから観ていても、ああ、ここが斬新なところなのだなという気分の盛り上がりが持てなかった。残念。
伝統的なタブケに対する現代的なダブケ。日本で言ったら、ポップス調のヨサコイみたいなこと? テクノ・ヨサコイとか。

 

あとで調べたところ、タブケの語源は「踏みならす」ということのようだ。
レバノンで家を建てるときの地面を皆でリズムを取って踏み固めたのが由来とのこと。
ああ、それでみんなで並んで踊るんだね。

 

映画は訪れる村や町で一行がタブケを踊る様を描く。
中東らしい音楽もダブケも明るく陽気。
ただ、物語の抑揚は少なく、どちらかといえば単調に続いていく。
ヒロインのナディーン・ラバキーは、先日観た「キャラメル」の監督兼主役だった人だった。

 

レバノンの国の様子や、タブケそのものについてもっと知っていれば、映画をさらに楽しめたかもしれません。
レバノン映画としては、人生ドラマが詰まっていた「キャラメル」の方が面白かったなあ。

 

 

「シリアの花嫁」 (2004年)

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2004年 イスラエル
監督:エラン・リクルス

政治紛争に翻弄される村人たち。 ★★★

 

イランの冠婚葬祭の映画の次に、今度はシリア、イスラエル問題のなかでの婚礼の映画。
こちらは複雑な政治背景があり、ことは単純には進まない。

 

ゴラン高原に住むモナは、シリアに住む親戚の男性と結婚することになる。
周りから祝福されながらの結婚式当日を迎えているところから映画が始まる。
しかし、当のモナを始めとして、家族は誰もが無条件に歓びを表してはいないようなのだ。
美しく着飾った白衣の花嫁なのに、どうして?

 

この映画はゴラン高原の政治的情勢と、そこに住む人たちが置かれている立場をある程度知っていないと、その緊迫感が理解できないことになる。
国際的にはシリア領だと考えられていたゴラン高原を1967年からイスラエルは占領している。
イスラエルもシリアも主権を主張するために、そこに住む人たちは無国籍状態となっていたのだ。
モナがゴラン高原からシリアに入国すれば、もう二度とゴラン高原の村へ帰ることはできないのである。

 

中東情勢は複雑で、遠く離れた日本人にはなかなか充分には理解できないところがある。
当事国ばかりではなく、それぞれに肩入れをする周囲の国々の思惑も絡んでくるから、さらにややこしくなる。
そしてその紛争情勢の根本には宗教問題がある。
これも、いわば多神教で宗教問題には寛容的な日本人にはその深刻さが理解しにくい。
単純な私などは、人を救うはずの神様がどうして殺し合いの原因になるのだ?と訝しく思ってしまうのだが・・・。

 

モナの家族も、それぞれにいろいろな問題を抱えている。
父親は親シリア派の活動家で、イスラエル警察からは目をつけられている。”境界”には近づくなと警告も受けている。
不安がいっぱいのモナを終始励ましつづける母親は、夫との仲が冷え切っている。
長男は宗派を越えてドイツで結婚生活を送っていて、妹の結婚式のために帰国したのだが宗派の長老から非難を浴び続けている。
お調子者の次男は、”境界”でイスラエルとシリアの橋渡しをしている日赤の女性と男女のもつれを起こしている。
みんなそれぞれにモナを祝福しようとしているのだが、それぞれに暗い感情を抱いている。

 

”境界”というのはイスラエルとシリアの国境に設けられた緩衝部分。
両国はそれぞれに検問所を作って兵士が警備している。
モナはこの”境界”を越えてゴラン高原からシリアに嫁がなくてはならないのだ。

 

”境界”にある両国の官僚的な対応の係官が話をまたややこしくする。
イスラエル側は、シリアに行こうとするモナのパスポートに出国のスタンプを押す。
シリア側は、ゴラン高原はシリアの国の一部だから(イスラエルが不法占拠しているだけだから)こんなイスラエルの出国スタンプのあるパスポートを認めるわけにはいかない。
どちらも譲らない。
荒涼とした石と砂だけの”境界”で花嫁衣装のモナはいつまでも待たされる。

 

融通をつけろよ、花嫁なんだぞ、と言いたくなるのだが、これが世界の現実なのだろう。
一体どうなるのかと思いながら観ていたのだが、最後、モナがとった行動とは・・・。

 

う~ん、こういう過酷な情勢の地域に住む人々が確かにいるのだなあ、と思わされる。
ちなみに監督のエラン・リクリスはイスラエル人である。
モントリオール世界映画祭ではグランプリを受賞しています。