あきりんの映画生活

映画鑑賞だけのブログです。★★★★が満点評価ですが、ときに思い入れ加算があります。約2000本の映画について載せていますので、お目当ての作品を検索で探してください。監督名、主演俳優名でも検索できます。

「バーン」 (2019年)

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2019年 アメリカ 87分
監督:マイク・ガン

悪夢のガソリン・スタンドの一夜。 ★★★

 

舞台は深夜のガソリン・スタンド。
始めから終わりまでそこだけで起こるある夜のお話。
登場人物も、通りすがりの人を除けば5人だけ。
徹底的な低予算B級映画で本邦未公開ということだが、意外と面白かった。こういうの、好きだよ。

 

借金のために夜のガソリンスタンドで拳銃をちらつかせて金を要求する新米強盗のビリー。
そこで働いていたのは、ちょっと可愛いけれどビッチ女のシーラと、どこかが奇妙にずれているメリンダ。
金庫は店長しか開けられないのとシーラが言うのに、メリンダは私が金庫を開けてあげる、いくら欲しい?
えっ、この女は何を考えているんだ?

 

メリンダは地味な女で、どうやらまだ処女らしいのだ。
男の客がやって来ると愛想よく話しかけるのだが、ことごとく空振りに終わる。イタイ女性である。
巡回にやって来る警官に片思いをして盗撮したりもしている。なんか、気持ち悪いなあ。
そんなんでシーラにはさんざん馬鹿にされたりしている。
いいわよ、どうせ私なんか・・・。なんか不気味だなあ。

 

メリンダ役の女優さんは初めて観たのだが、すごいインパクトのある人。
この映画はこのメリンダの不気味さで成り立っている。
メリンダの突拍子もないちょっとずれた行動で、物語もどんどんと悪い方へ、悪い方へと進んでいく。

 

強盗のビリーにメリンダは、金庫のお金をリュックに詰め込んできたわよ。これをあげるから、私も一緒に連れて行ってよ。
えっ、おまえ何を言ってるんだ。お前なんか連れて行くわけないだろ。
そんなことより早く金をよこせ、それからシーラ、お前は一緒に奥の部屋に来い。
あ~あ、いつも男がちやほやするのはシーラばかり。私はどうすればいいのよ。

 

メリンダの不気味さはちょっとしたことで上手くあらわされている。
彼女は湧かしたてのコーヒーに指を入れてわざとやけどを負ったりするのだ。
何を考えているんだ?

 

そんなメリンダはシーラをレイプしようとしていたビリーの背後に忍び寄り、頭から熱湯のコーヒーをぶっかける。
なにをするんだ! はずみでビリーが手にしていた銃が暴発して・・・。ありゃあ、とんでもないことになっちまったぞ。
おまけにメリンダは消火器でビリーを殴って気絶させて・・・。

 

メリンダはいったい何を考えて行動しているんだか。
常識では説明できないような思考パターンと行動様式で、先の読めない展開に引きずられていく。

 

巡回にやって来た片思い警官にどうやってこの状況を取り繕う?
おまけに、ビリーから金を取り立てようと荒くれバイカーがどどっと店に乗り付けてきたりもする。どうやって彼らを追い払う?
シーラに連絡が取れないのを心配して彼氏も来てしまったぞ。どうする?

 

悪夢の一夜の出来事は、すべてメリンダのずれた行動によって起きていたなあ。
ビリーもメリンダのいないガソリンスタンドを狙っていればあんなことにはならなかったのにねえ。

 

タイトルは「BURN」。
文字通りに炎上していくぞ。
上映時間も90分弱と短めで、ダレる暇もなかったのはよかった。

 

 

 

 

「127時間」 (2010年)

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2010年 アメリカ 94分
監督;ダニー・ボイル
出演:ジェームズ・フランコ

孤独なサバイバル物語。 ★★☆

 

物語は単純明快。
腕が落岩に挟まれて動けなくなった主人公が5日後に生還するまで、を描く。
ワン・シチュエーションの典型映画である。

 

だから映画の大部分は主人公ひとりの映像。
舞台は狭い岩の隙間だけ。
そんなことでは退屈するのでは、と思ってしまうところだが、緊張感がつづくのでつい見入ってしまうのである。
それだけ主人公の行動が必死さに溢れているのだ。

 

青年アーロン(ジェームズ・フランコ)は慣れ親しんだブルー・ジョン・キャニオンに一人でロック・クライミングに出かける。
そこは岩と砂だらけの渓谷で、彼は誰にも行く先を告げていなかった。
と、足を滑らせた表紙に岩の裂け目に滑り落ちてしまい、一緒に落下した岩に右腕を挟まれてしまう。
いかん、腕が抜けない、どうやっても動けない状態だぞ・・・。

 

これは完全に絶望的な状況である。
のしかかっている岩は300キロ以上あったようで、岩を押そうが腕を引こうが、びくともしない。
ナイフで岩を削ってみようとするが、何の足しにもならない。
食糧はなし、残っている水はペットボトルに半分ぐらい、かな。
もう、アウトとしか言えない状態である。

 

ここからカメラはひたすら岩に挟まれて身動きがとれないアーロンを映していく。
命を繋ぐために最重要となる水も少ない。
彼は自分の尿を袋に溜め、尿の味だといいながら背に腹は代えられずに飲んだりもする。

 

アーロンは持っていたビデオカメラで自分の様子を撮影する。
このまま助からないであろうと覚悟を決め、母親や知人に別れのメッセージを告げたりもする。

 

この事故の直前に、アーロンは2人の女性トレッカーと出会っている。
まさかその後にこんな事態になるとは思わずに、彼らは無邪気に天然プールで大騒ぎをしたりしたのである。
その屈託なく明るくはしゃいでいた映像が、今の孤独で絶望状態をより際立たせていた。

 

動けなくなって3日目ぐらいになると、アーロンは幻覚を見始めたりもする。
谷間を激しいスコールが襲ったりもする。
それはびしょ濡れになりながらも、貴重な水の補給でもあった。

 

(以下、終盤のネタバレ)

 

4日目、ついにアーロンは岩に挟まっている自分の右腕を切り落とそうとする。
映画を観ながら、太い腕の骨はどうするのだ? あれは切れないだろうとと思っていた。
案の定、中国製の小さなナイフでは骨を切ることは到底不可能だったのだ。
それにしても、右腕をきつく縛り血流を遮断したとはいえ、自分で自分の腕にナイフで切り込むなんて・・・。
めちゃ痛いぞ、あれは・・・。

 

そして5日目、アーロンはある決断をして右腕を切断することに成功するのである。
この場面はかなりグロい。映画感でだったらあちらこちらで悲鳴が上がりそうな映像である。
観ているだけでもこれなのだから、実際におこなったアーロンて、すごいなあ。

 

とにかくこれは実話に基づいているという事がすごい。
(エンディングに本人と、3年後に結婚した奥さんの写真が写る)
原作によれば、救助されたときにアーロンの体重は18キロも減っていたとのこと。
5日間で18キロも消耗するって・・・。
いかに過酷な状況だったかが判る。
すごい経験をして生き抜いた人が本当にいたのだな。

 

実在のアーロンは右腕を失ってからも義手をつけて登山を続けている。
そしてコロラド州に53ある4200メートル以上の山のすべてに単独登頂したとのこと。
すごい。
出かけるときは、きっと行く先を告げておいたのだろうな。

 

「フロント・ページ」 (1974年)

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1974年 アメリカ 103分
監督:ビリー・ワイルダー
出演:ジャック・レモン、 ウォルター・マッソー、 スーザン・サランドン

コミカル舞台劇の映画化。 ★★☆

 

舞台は1020年代のシカゴ。
死刑囚の脱獄事件をモノにしようとする新聞記者たちの騒動をコミカルに描く。
こういうのって、ビリー・ワイルダーは得意そうだよな。

 

敏腕記者だったヒルディ(ジャック・レモン)は結婚を機に辞職しようとしていた。
しかし編集長のウォルター(ウォルター・マッソー)は、有能な彼をなんとかして引き留めようとしている。
そんな日に、死刑囚のウィリアムズが脱走したとの知らせが記者クラブに入ってくる。
どの記者も、よし、他社を出し抜く記事を書くぞっ。

 

原作となった戯曲は4回も映画化されているとのこと。本作はその中の3回目の作品。
よほど監督をして映画にしてみたいと思わせるものがあるのだろう。
今作の見所は、なんといってもお調子者のジャック・レモンと老獪なウォルター・マッソーの掛け合い。
二人の周りで死期囚や、新聞記者や娼婦がわいわいがやがや。

 

映画の大半は裁判所の記者クラブの一室が舞台。
他の記者が取材に出はらってヒルディ一人になったところへ、当の脱走した死刑囚が逃げ込んでくる。
よし、彼を匿って独占記事をものにするぞ。ヒルディの記者魂が燃え上がる。

 

この映画、根っからの悪人は出てこない。
警官殺しとされた死刑囚だって、ほんの手違いで起きた事故みたいなもの。実は、死刑執行中止命令も出ていたのだ。

 

みんな善良な人たちなのだが、それぞれの思惑が食い違うわけだ。
ヒルディの婚約者(スーザン・サランドン)は、新聞記者なんか止めて早く引っ越しましょ。
判ったよ、そうするよ。でもその前にこの記事だけは書かしてくれ。
ウォルターは、そうだ、ヒルディ、お前は根っからの新聞記者だ。一緒にこの特ダネをモノにしようじゃないか。
他の新聞記者たちは、おい、ヒルディ、犯人を何処かへ隠していないだろうな、なんか怪しいなあ。

 

こうしてみんながあたふたとして騒ぎまくる。
たわいもない、と言ってしまえばそれまでだが、ま、上品な吉本新喜劇みたいなもの(と言ってはあまりにも失礼?)。

 

ラスト、無事に退職して婚約者と共に新天地に向かうヒルディ。
すると、見送りに来た駅でウォルターは大事な時計をヒルディに餞別に渡す。
おお、ウォルターも好い奴だったのだな・・・。
とここで、にやりとさせるオチがあった。
さすがワイルダー監督、最後までやってくれたね。

 

「パリの旅愁」 (1961年)

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1961年 アメリカ 99分
監督:マーティン・リット
出演:ポール・ニューマン、 シドニー・ポワチエ、 ジョアン・ウッドワード、 ルイ・アームストロング

パリ、ジャズ、そして恋。 ★★☆

 

舞台は花の都パリ。
アメリカ人ジャズメンのラム(ポール・ニューマン)とエディ(シドニー・ポワチエ)はセーヌ左岸のジャズ・クラブで演奏する毎日だった。
クラブはいつも満員で、野心に燃えるラムは「パリ・ブルース」という協奏曲の作曲にも情熱を注いでいた。(この曲の題が映画の原題)

 

ポール・ニューマントロンボーンシドニー・ポワチエサキソフォンの奏者。
実際に演奏してはいないのだろうが、演奏の雰囲気は好く出していた。
映画で使われている曲はデューク・エリントンが書いたとのこと(ただしエリントン本人は画面にはあらわれない)。
で、本格的なジャズ音楽映画となっていた。

 

さてその二人は、アメリカから2週間の休暇旅行にやって来たリリアンジョアン・ウッドワード)とマニーと知り合う。
そして二組のカップルができあがり、それぞれの美しいパリの街での恋物語が描かれる。

 

ニューマンがこんなジャズ映画に出ているとは知らなかったし、それよりもウッドワードのことをよく知らなかった。
ウッドワードはこの映画の3年前にはアカデミー主演女優賞を獲っている。へえ、すごいんだ。
そしてこの映画の前年には、ハリウッドの歩道に刻まれる名前入り☆に第1号として認定されている。
この映画の時にすでにニューマンとウッドワードは結婚していたのだが、俳優としては奥さんの方が格上だった?

 

この映画の目玉とでも言うべきゲストは、サッチモことルイ・アームストロング
パリに演奏旅行に来た世界的なトランペット奏者という役で登場する。
サッチモはラムたちが出演しているジャズ・クラブにあらわれ、飛び入りでセッションをおこなう。
あのインパクトのある笑顔としゃがれ声で店に入ってくれば、それだけでも、おおっ!となるほどの存在感である。
さすがの大物。オーラが違っていた。

 

さて、二組の恋物語はどうなるのか。
リリアンはラムに、アメリカに戻ってジャズを続ければいいじゃない、と帰国を誘う。
折角作り上げた協奏曲「パリ・ブルース」を大物プロデューサーに貶されたラムは、失意もあって帰国を決断する。
一方のエディも、黒人の自分が自由に暮らせるのはアメリカではなくてパリだと言っていたのだが、そんなことに負けては駄目よとマニーに説得されて帰国を決断する。

 

リリアンとマニーがアメリカへ帰る日、ラムとエディの決断はどうなったのか。
ほろ苦さもたたえた大人の恋物語だった。
モノクロの映像にも情感がありました。

 

「名探偵再登場」 (1978年)

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1978年 アメリカ 92分
監督:ロバート・ムーア
出演:ピーター・フォーク、 アン・マーグレット

探偵ものコメディ。 ★★☆

 

脚本は前作「名探偵登場」と同じ、ニール・サイモン
しかし物語は前作とは全く関係が無いので、本作のみの視聴で困ることはない。
知っておいた方がいいのは、今作もパロディ映画ですよ、ということ。

 

1939年、ナチ占領下(!)にある架空の都市サンフランシスコ。
探偵のフロイドが殺害され、相棒のペキンポー(ピーター・フォーク)に疑いがかかる。
ペキンポーは被害者の妻ジョージアと浮気していたのだ。

 

この映画、やたらに登場人物が多い。
ぼんやり観ていると誰が誰やら、この人は何の人だっけ? あの人はどういう関係だったっけ? ということになってしまう。
しかし基本的にはコメディ映画なので、何とかなる。

 

さて、殺されたフロイドに行方不明になっている自分の姪の捜索を頼んでいたという女があらわれる。
その依頼は殺人事件と関係がある?
その後、その姪についての情報を知っているという男から連絡が入る。
男との待ち合わせ店に行くと、そこにはドイツ軍のシュリッセル大佐、フランスから亡命してきたポールとマルレーヌのデュシャール夫妻、歌姫ベティ・デ・ブープなどがいた。
ね、登場人物がゴチャゴチャしてくるでしょ。

 

ピーター・フォーク演じるペキンポーは、「マルタの鷹」のサム・スペード役のパロディ。
だから、事件はやがて高価な美術品探しも絡んでくる。
そしてもちろんサム・スペード役はハンフリー・ボガードだったのだから、彼の代表作「カサブランカ」のパロディも出てくる。

 

ドイツ軍から逃げようとしている夫妻の妻マルレーヌは、イングリッド・バーグマンそっくりの衣装、身のこなし方。
ほほう、そうきたか。雰囲気はもうバーグマンそのもの。
そしてペキンポーは彼女の夫の国外逃亡の協力をマルレーヌから依頼される。
(なるほど、そのためにサンフランシスコをナチス占領下という設定にしたのだな)

 

ペキンポーはマルレーヌに、「君の瞳と「追想」に乾杯!」なんて台詞も言っている。
もちろん「君の瞳に乾杯」は「カサブランカ」の決め台詞だし、「追想」はバーグマンがアカデミー主演女優賞を獲った作品であるわけだ。

 

やがて、貴婦人や大富豪、そして老いた美術収集家と彼の若妻(アン・マーグレット)なども登場してくる。
行方不明の女性やら、行方不明の高価な美術品やらをめぐって陰謀がからみ合っている。
ね、ゴチャゴチャしてくるでしょ。

 

その合間合間のコメディタッチは笑わせてくれる。
捜索にきている警察のすぐ傍らで重要証言をくり返してみたり、推理を当てたときの報酬がどの答えでも大丈夫なようにいくつも用意されていたり・・・。

 

さてフロイド殺しの真犯人は誰だった?
前作の「名探偵登場」よりはこちらの方が楽しめた。
前作のパロディ部分はかなり捻ったものだったので、ある程度の通でないと判らないものが多かったよ。

 

「私の中のあなた」 (2009年)

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2009年 アメリ
監督:ニック・カサベテス
出演:アビゲイル・ブレスリン、 キャメロン・ディアズ、 アレック・ボールドウィン

白血病の姉がいて・・・。 ★★★☆

 

夫ブライアン、妻サラ(キャメロン・ディアズ)には3人の子供がいた。
しかし、長女のケイトは2歳の時に白血病となり、それからは闘病の毎日だった。
サラは弁護士の仕事も辞め、ケイトの看病に自分の生活のすべてを費やしている。

 

小児癌に冒された子どもは本当に気の毒である。
学校に行けない、友達と遊べないのはもちろんのこと、副作用が辛い抗癌剤治療や放射線治療で癌と闘わなければならない。
そんな幼い子供達は自分のこと、自分の人生をどのように受け止めているのだろうか。

 

ケイトも辛い治療を繰り返してきた。
それだけ頑張っても病状は次第に悪化してくる。
頭髪は抜け落ち、常に酸素吸入が欠かせない。腎機能不全にもなってきている。
主治医は、あとできることといえば生体腎移植しかない、と告知する。

 

そこでケイトの妹アナ(アビゲイル・ブレスリン)の腎臓を移植する話が進んでいる。
アナのケイトとの組織適合性は完璧なのだ。
これまでもアナから幾度となく採取された骨髄細胞はケイトに移植されてきた。
その効果でケイトはこれまで延命できたのだ。

 

実はアナは、ケイトに骨髄細胞や臓器を提供するために遺伝子操作で生まれてきたのだった。
ケイトの白血病が判明したときに、両親も兄も組織適合性がなかった。ケイトに骨髄も臓器も提供は出来ない。
そこでケイトを治療するために、組織適合が完璧な受精卵を作り体外受精で計画的に産まれたのがアナだったのだ。

 

姉の治療のためにこの世に産まれてきた(産まされてきた)自分。
こんなことを知ってしまったアナは、自分の存在意義をどんな風に捉えていたのだろうか。
そして一方のケイトは、妹に犠牲を強いて生き延びている自分の命をどんな風に考えていたのだろうか。

 

そして、11歳になったアナはケイトへの腎臓提供を拒否したのだ。
自ら有名な弁護士(アレック・ボールドウィン)を自分のわずかな小遣いで雇い、腎臓提供を強要する両親を裁判所に訴えたのだ。

 

えっ、アナ、あなたは何を言い出すの。
あなたが腎臓を提供しなければケイトは死んでしまうのよ。そんなことが許されるはずがないでしょ。
でも、私の一生はケイトの犠牲になることではないわ。
もうこれ以上、自分の体を切り刻まれて使われるのは嫌なの。それが私の人権よ。

 

これはどちらの言い分も判ってしまう。判ってしまうだけに辛い。
そして子どもが両親を訴えるという裁判が本当に始まる。
しかし、本当は姉のケイトが大好きなアナの真意は何なのだ?
アナは本当にケイトの命よりも自分の身体の方を選んだのか?

 

いったい、この映画の結末はどうなるのだろうと思いながら観ていた。
何が正解か、誰にも判らない問題ではないか。
・・・と、裁判の大詰めで、傍聴席にいた兄があることを大声で叫ぶのだ。
・・・えっ、それ、どういうこと?・・・。

 

最後まで惹きつけられる映画だった。
ある結末を迎えて物語はおだやかに終わっていく。
・・・そうだったのか。
物理的な生命はもちろん大切なもの。そして心の生命はもっと大切なものだったのか・・・。

 

「小さな命が呼ぶとき」 (2010年)

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2010年 アメリカ 
監督:トム・ボーン
出演:ブレンダン・フレイザー、 ハリソン・フォード

難病の治療薬開発秘話。 ★★★

 

主役の二人は「ハムナプトラ」シリーズ、「インディ・ジョーンズ」シリーズと、共にアドベンチャーの主人公。
そんな二人が(アクションは封印して)必死に新薬開発に挑むヒューマン・ドラマ。

 

3人の子供がいるやり手ビジネスマンのジョン・クラウリー(ブレンダン・フレイザー)だったが、そのうちの2人はポンペ病に冒されていた。
治療薬もない難病で、このままでは2人はまもなく死んでしまう。
何とかならないのか。ジョンは医学情報を検索し、ポンペ病研究の第一人者ストーンヒル博士(ハリソン・フォード)のことを知る。

 

ポンペ病というのはある酵素の欠損により血中の糖が細胞に溜まってしまうらしい。
その結果、全身の筋肉が次第に無力症状態になっていくようだ。
(ちなみに、子の病気は常染色体劣性遺伝ということなので、ジョン夫妻は2人とも保因者だったわけだ)

 

ジョンが相談に行ったストーンヒル博士は確かにすごい研究者だったが、人付き合いは悪く、独善的。
要するに変人だった。
そんな博士を説き伏せて、ジョンはこれまでの経歴を捨てて共に製薬会社を設立する。
しかし、研究、新薬開発のためには莫大な資金が要る。何とかしなくては・・・。

 

この映画は実話に基づいている。
ポンペ病の治療薬として現在も使われているマイオザイムの開発話である。
我が子の為に治療法を探す親の実話というと、映画「ロレンツォのオイル」が思い浮かぶ。
あれも必死に病気を研究し、治療法にたどり着く物語だった。
こうした、我が子の不死の病をなんとか治してやりたいという親の根源的な希望と、そのための努力は、やはり感動的だ。

 

ジョンはポンペ病の家族の会を結成し、寄付などによる資金集めに奔走する。
しかし新薬開発にはそんな資金ではとても足りないのだ。
8歳とも9歳ともされるポンペ病の子供達の余命。
長女のメーガンはもう9歳の誕生日を迎えた。もう、時間がない。
こうなればどこかの製薬会社と手を組まなければどうにもならない、とジョンは考える。

 

2人の子供はすでに車椅子での生活である。
次第に手の力なども失われていっている。やがては呼吸する力も失われていくのだ。
(子供達は喉のところに管を取り付けていた。気管切開をしているように見えるのだが、もしそうであれば声は出せなくなっているはず。あの管は何だったのだろう?)

 

2人の子供の明るさが物語の暗さを救っていた。
特に8歳のメーガン。彼女は初めて会ったときにストーンヒル博士と車椅子で駆けっこをしたりする。
そんな彼女の相手を真剣にするストーンヒル博士って、好い人なんだ。

 

さて。
抗癌剤の開発にしても、ワクチン開発にしても、製薬会社は儲けが見込めなければ動かない。
効果、副作用、需要、そういったことを勘案してものになりそうな時に初めて会社は資金を提供する。
製薬会社をどうやって提携に持ち込むか。
さらに研究者であるストーンヒル博士は、自分の研究を金のために売り渡すのかと怒り出す。

 

利潤追求を考える製薬会社、自分の研究に誇りを持ち続けるストーンヒル博士。
その両者の間で何とか新薬開発を成功させなければと奮闘するジョン。
今作は単なる感動秘話ではなく、ベンチャー・ビジネスのさまざまな駆け引きも魅せているところがユニークであった。

 

物語の結末は判っているわけだが、やはり引き込まれる。
完成したマイオザイムは2003年にFDAで認可されているが、この映画が作られた2010年時点でジョンの二人の子供は健在だったとのこと。
好かったね。