あきりんの映画生活

映画鑑賞だけのブログです。★★★★が満点評価ですが、ときに思い入れ加算があります。約2000本の映画について載せていますので、お目当ての作品を検索で探してください。監督名、主演俳優名でも検索できます。

「ドライブ・マイ・カー」 (2021年) 死者にとらわれた車の中の二人

f:id:akirin2274:20220323223622j:plain

2021年 日本 179分
監督:濱口竜介
出演:西島秀俊、 三浦透子、 霧島れいか、 岡田将生

村上春樹原作。 ★★★★☆

 

村上春樹の短編集「女のいない男たち」所収の同名小説が原作。
あの短編小説を3時間の映画にしたのか。
しかも、ヨーロッパでは高い評価を受けて、米国アカデミー賞にもノミネートされている。
これは観ておかなくては・・・。

 

村上春樹の小説は、一種独特の文字を読む楽しさがある。
彼の小説の映画化が難しいのは、その面白さをどのように映像で伝えるものにするか、という点にあるだろう。
個人的には「風の歌を聴け」や「トニー滝谷」は好かったが、、「ノルウェイの森」は失敗作だと思っている。

 

今作は映像での語り方が緊張感を保ち続けていて、3時間の長さだったがまったく緩むところがなかった。
原作にはないエピソードも加えて、物語にも陰影が増えていた。
文字で読むのとはまた異なった、映像で伝えられる楽しさを味わうことができた。
これは、まず脚本がすばらしかったということだろう。

 

物語の大要についてはほとんどの人が知っていると思うので、ここでは繰り返さない。
ただ、不倫をしていた妻(霧島れいか)の死が予期されていなかった突然のものだったことは物語に膨らみをもたらしていた(原作では死因は癌だった)。
「今夜ゆっくり話したいことがあるの」という妻の最後の言葉は永遠に閉ざされてしまったものとなり、余韻を残していた。

 

映画的に工夫したなと思ったのは、ロケ地を広島にして、瀬戸内海の風景を取り入れたこと。
原作のように東京だけが舞台だったら、映像的な広がりは少なかっただろう。
それに主人公・家福(西島秀俊)の車を黄色のサーブ・コンパーティブルから赤色のサーブ・ターボに変えたこと。
画面での色も映えるし、なんといっても家福とみさき(三浦透子)が二人でサンルーフから手を突き出して煙草を吸う場面がよかった。

 

この映画の主人公はもちろん家福なのだが、それに勝るとも劣らない存在感を出していたのが無口でプロ意識に徹しているみさきだった。
不必要には他人に干渉しない、しかし家福の抱えている孤独感には寄り添うことができる。
ぶっきらぼうな態度にみえながら、実は深いものを抱えているみさきを三浦透子が好演していた。
(初めてポスター写真を見たときは、みさき役は小池栄子かと思った 苦笑)

 

妻が家福を愛していることは最後まで疑う余地はなかった。
それなのに妻は他の男と肉体関係を持っている。そしてそのことを家福は知ってしまっている。
自分のうちに隠しておかなければならない苦しみである。

 

そんな家福が車の中で、今も死んだ妻の吹き込んだ声と会話をしていることは象徴的だった。
あの車の中は死者とつながる空間だったのかもしれない。
そう考えると、やはり心の中に死者を抱えていたみさきが、この車の中で家福と少しずつ会話を始めるのも判るわけだ。

 

家福が演出していたチェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」については、その内容も含めて全く知らなかった。
おそらく戯曲が映画の物語とか重なる部分があるのだろうし、知っていればもっと楽しめたかもしれないと思ってしまう。残念だった。

 

エピローグのような(原作にはない)場面が最後に付いていた。
サーブを運転しているみさきは韓国で生活しているようだった。
頬の傷も直したようだったし、明るい笑顔となっていた。
ややとってつけたような感もあったが(もともとはこの映画は全編を韓国ロケで撮る予定だったらしいが・・・)、物語の締めとしてはさわやかで好かった。

 

村上春樹の小説から出発しながら、そこから離れた地点で映画として見事に完成していた。
すばらしい!
さあ、アカデミー賞を取ることはできるのだろうか?

 

「コンフィデンスマンJP 英雄編」 (2021年) 騙し騙され第3弾

f:id:akirin2274:20220321221217j:plain

2021年 日本 127分
監督:田中亮
出演:長澤まさみ、 東出昌大、 小日向文世

シリーズ第3弾。 ★★★

 

たわいなく楽しいコンフィデンスマンJPシリーズの第3弾。
残念なことに、常連だった三浦春馬竹内結子はいなくなってしまったのだが、さあ、今回も楽しませて欲しいよ。

 

ダー子(長澤まさみ)たちが師と仰ぎ、英雄と言われていた詐欺師が死んだ。
そこでダー子、ボクちゃん(東出昌大)、リチャード(小日向文世)はその後継者の称号をかけて勝負をすることに。
ターゲットは、マルタ島の元マフィアが所有する古代ギリシャ彫刻“踊るビーナス”。
しかし、その彫刻を狙う者は他にもいて・・・。

 

ということで舞台は地中海を背景にした世界遺産の都市ヴァレッタ
(これは、コロナ禍の映画作成ということでCGだったとのこと。へぇ~、上手く作るものだ)
しかし、3人の前には日本の警察やインターポールまでもあらわれて、もうてんやわんや。
さあ、誰が騙している? 誰が騙されている?

 

3作品目ともなると、さすがに観る方もどこからがダー子の仕組んだ罠なんだ?と疑いながら観てしまう。
そう、眼目は、ダー子が騙そうとした真のターゲットは誰なのか?ということなんだよね。
そのために何を仕込んでいて、何が騙しなのか、とうことなんだよね。
でも今回も見事にしてやられた。
そう、こうして観ている者も気持ちよく騙されるのがこの映画を楽しむ一番の極意。

 

物語は、ダー子目線、ボクちゃん目線、そしてリチャード目線で同じ場面が映される。
登場人物の視点によって映っている事柄の意味が変わっていき、ああ、そういうことだったのか、と判っていく。
これまでのいくつかの映画でも使われている手法だが、これは物語を面白く見せていて成功していた。
(ちなみに、この手法を巧みに使っていた最近の映画といえば、2019年のフランス映画「悪なき殺人」。これは大変にお勧め作!)

 

面白いと言えば、敵であったはずの赤星(江口洋介)が次第に仲間風になってきている。
やくざの親分といってもどこか憎めないキャラクターだものね。
東南アジアだろうがマルタ島だろうが、必ず着いてくる。もう常連(笑)。
そして今回登場してきた刑事役の松重豊も好い味を出していた。

 

さあ、次回作はどうなるのでしょ?
お約束映像があることはみんな知っているので、誰もエンドロール中に席を立たなかったなあ。

 

「影武者」 (1980年) 黒澤明の戦国絵巻

f:id:akirin2274:20220318214532j:plain

1980年 日本 180分
監督:黒澤明
出演:仲代達也、 山崎努、 根津甚八

戦国絵巻。 ★★★☆

 

一時は作品的にも興行的にも低迷した黒澤明が気を取り直して(!)挑んだ戦国もの。
当初は主役には勝新太郎を予定していたのだが、諸事情から仲代達矢に変更された。
この主役変更は作品にどう影響した?

 

天正元年、武田信玄仲代達矢)率いる甲斐の軍勢は東三河で城攻めをしていた。
まもなく城が落ちるという夜に、信玄は城内からの銃の狙撃で死亡してしまう。
今際の際に残した言葉は、我死すとも三年はそれを秘匿せよ、その間は決して動くな、というものだった。
さあ、どうする?

 

映画の主人公は、信玄とうり二つで影武者にされた盗人の男(仲代達矢の二役)。
はじめは、そんな影武者の役などできるものか、さっさと殺しやがれ! と息巻いている。
しかし、信玄の遺体を見、また以前に助命してくれた恩義を思い出し、自ら影武者になることを申し出る。

 

影武者は本来の自分の存在を消さなくてはならない。そして影としての役が終われば無用となる存在のもの。
主人公が影武者として上手く立ち回るほどに、その先に待つ陥穽は大きくなる。
この映画はそんな運命を引き受けた主人公をいかに描くかがポイントだった。

 

さて。
信玄の死。そして影武者の存在。これを知るのは重臣たちと影武者の身の回りに控えるごく少数の人間だけ。
敵ばかりか味方まで欺かなくてはならない。
無邪気な孫や、信玄の一挙一動を知っている側室たちをいかに欺くか。
このあたりは、いささかユーモラスな展開も交えながら、観ている者にバレやしないかとはらはらとさせて楽しませてくれる。

 

戦国ものなので、その撮影には莫大な費用をかけているのだろうと思う。
黒澤映画といえば、背に旗指物を負った大勢の騎馬武者の疾走場面を思い浮かべる。
風に旗がビュンビュンとなびくのだ。
そして朝焼け(夕焼け)空を背景にして丘の上に鉄砲隊がシルエットして現れる場面などは、いかにも黒沢らしい美意識だった。

 

しかし、影武者が悪夢にうなされる画面は、いかにもとってつけたような映像だった。
黒沢はのちに「夢」という映画も撮っているが、あれは酷いものだった。
黒沢は夢幻的なものを描くのは苦手だったのではないだろうか。

 

さて映画は、甲斐を取り巻く他国の織田信長徳川家康、そして上杉謙信の思惑も取り混ぜて、物語として変化もつけている。
3時間の長尺なのだが、飽きることはなかった。
そしてついに影武者の正体がばれてしまう日が来る・・・。

 

クライマックスは長篠の戦いである。
信玄の死が公になり、信玄の子・武田勝頼が織田・徳川連合軍と戦い大敗北を喫した戦いである。
この戦いは、勇名を轟かせていた武田騎馬軍を織田鉄砲隊が打ち破ったことで有名である。
鉄砲隊を3グループに分け、弾込めを順番に行うことによって連射を可能としたのだ。

 

しかし、この合戦場面はいただけなかった。全く駄目。
実際の戦闘場面は全く映されないのだ。ただ画面の外から銃声や叫び声、馬のいななきが聞こえるだけなのだ。
あとは戦いが終わった後の戦場風景が映るだけ。
どうしてこんな演出にしたのだろうか?

 

映画は落ちぶれた影武者が戦場を彷徨い、果てていく様で終わっていく。
不満もいろいろと残る映画ではあるのだが、力作であることは否めない。

 

カンヌ国際映画祭パルムドール賞を受賞しています。知らなかったなあ。

 

「シャングリラ」 (2008年) 悲しみから立ち直るためのロード・ムービー

f:id:akirin2274:20220316222005j:plain

2008年 中国 108分
監督:ティン・ナイチョン
出演:チュウ・チーイン

悲しみからの再生。 ★★★

 

台北で満ち足りた生活をしていたジー・リン(チュウ・チーイン)は、突然、幼い息子を交通事故で失ってしまう。
しかし事故の加害者夫婦は目撃者がいないことを幸いに容疑を否認し、謝罪をしてくれない。
彼女は息子の死を受け入れられず、夫との関係も不安定になってくる。
そんなある日、ジー・リンは発作的に鞄一つを持って旅に出てしまう。

 

物語は静かに進み、画面も沈んだ色調を基本として落ち着いている。
ヒロインが住んでいた台北の都会風景(名所である101タワービルも映る。私が2度走ったことがある台北ラソンはこの近くからスタートした)と、彼女が旅をする中国北部の田舎風景の対比が美しい。
心地よい旋律がそこに重なるのだが、音楽担当は日本人だった。

 

実はジー・リンは、息子の部屋である雪山の絵が描かれたメモを見つけていたのだ。
それは生前の息子が、宝探しゲームのヒントだよ、と描いたものだった。ママ、頑張って宝を探してね。
突然亡くなってしまった息子が残したメモ・・・。
彼女は息子が残した宝物を探しに衝動的な旅に出たのだった。

 

映画タイトルの”シャングリラ”とは、イギリスの作家によって描かれた理想郷のこと。
そして絵に描かれていたのは、中国雲南省チベット自治区の境にある梅里雪山だった。
梅里雪山の麓の町を訪れた人が、ここはシャングリラのようだ、と言い始めたことから、町の名も香格里拉(シャングリラ)と変えてしまったのだ。
ジー・リンは息子が残した絵の山、梅里雪山を望むシャングリラに向かったのだ。

 

旅の道程で、彼女は色々な人と出会い、いろいろな風景に対する。
素朴な人々の無償の優しさや思いやり、そして雪山、湖、森林など雄大で美しい景観。
ロード・ムービーでもあるのだが、この映画の場合は悲しみにうちひしがれたヒロインの立ち直りという、かなり精神的な意味合いが含まれている。

 

物語のアクセントとして、彼女の旅に初めからつきまとう謎の若者がいる。
何気ない風で彼女に近づいてくる若者との交流が、ともすれば単調になりそうな映画に変化をつけている。
こいつは何者だ? 怪しい奴だな。

 

実は途中までは、この若者は実は死んだ息子が母を心配してあらわれた姿ではないかとも思っていた。
あの「鉄道員(ぽっぽや)」の広末涼子みたいな存在ではないかと。
全く違っていた。全く現実的なことだった(汗)。

 

やがて若者の正体も明らかになり、ヒロインの旅も終わる。
息子を死なせた交通事故を起こした加害者も、最後に許して欲しいと謝罪して白血病で死んでいく。
そして息子が、宝探しだよ、といってヒントを残していたものを探し当てるのだ。
そこには、ママ、とうとう見つけたね、という息子からのメッセージ・・・。
それによってヒロインは悲しみから立ち直れそうな予感で映画は終わっていく。

 

物語としてはベタではあるのだが、映像が美しく、全体の落ち着いた雰囲気の映画だった。
ヒロインを演じたチョウ・チーインは初めて見たが、映す角度によっては石原さとみをちょっと思わせる美形であった。

 

「ピンクの豹」 (1963年) ピンク・パンサー・シリーズの1作目

f:id:akirin2274:20220314220243j:plain

1963年 アメリカ 125分
監督:ブレイク・エドワーズ
出演:デビッド・ニーブン、 ピーター・セラーズ、 クラウディア・カルディナーレ

往年のコメディ映画。 ★★

 

ブレイク・エドワーズ監督といえば「ティファニーで朝食を」であり「酒とバラの日々」である。
その監督がなんと8作まで作った「ピンク・パンサー」シリーズの、本作が第1作である。
それだけ作られ続けたということは、コメディ映画の大傑作との評価を受けているということだろう。
しかし、観てみたら、あれ?あまり面白くないなあ。

 

主役は巧妙な宝石泥棒ファントム(デビッド・ニーブン)と、それを追いかけるドジなクルーゾー警部ピーター・セラーズ)の二人。
この二人のドタバタとしたやりとりで見せるコメディ。
言ってみれば、トムとジェリーの人間版。

 

物語としては、某国王女ドーラ姫(クラウディア・カルディナーレ)が所有する巨大な宝石“ピンクの豹”をめぐる騒動。
舞台はアルプスのリゾート・スキー場。
そこで有閑マダムたちのパーティはあるわ、浮ついた優男が女性にちょっかいを出すわ、要するに甘くふわふわとした物語。

 

そんなリゾート地で貴族然としたファントムと、居合わせたクルーゾーがあんなことをしたり、こんなことをしたり。
おまけに美人のクルーゾーの奥さんはファントムの仲間なのだ。
なんだ、こりゃ。どんな夫婦関係だったのだ?

 

音楽はヘンリー・マンシーニ。テーマ曲「ピンク・パンサー」はあまりに有名だが、パーティ席上でフラン・ジェフリーという歌手が歌う曲「今宵を楽しく」がとにかくよかった。
ほかには見所の少ない映画だったが、この場面、この曲で☆を増やした。
ぜひともこの歌を聞いて欲しいということで、初めてYou tubeを貼り付けてみる。

   https://www.youtube.com/watch?v=gjeW3zBRvBM

 

好きな女優であるカルディナーレはきれいだったのだが、その役柄は彼女にはあまり合っているようには思えなかった。
カルディナーレといえば、「刑事」であり「鞄を持った女」である。私にとっては、不遇でありながら強く生きる女のイメージである。
そんなカルディナーレが王女役ではなあ・・・。
同じ年の映画「ブーベの恋人」の彼女の方が何倍も好かったぞ。

 

結局、映画としてはまったくしゃんとしたところのないものだった。
コメディ要素の感性が時代と共に変化してしまったせいだろうか。
それとも私の感性が鈍ってきている? どちらにしても残念。

 

「嘆きのテレーズ」 (1952年) 巨匠マルセル・カルネ作品

f:id:akirin2274:20220312200027j:plain

1952年 フランス 102分
監督:マルセル・カルネ
出演:シモーヌ・シニョレ

不倫サスペンス。 ★★★

 

テレーズ(シモーヌ・シニョレ)は、病弱なくせに傲慢な夫カミイユ、それにその息子を溺愛する姑との生活に嫌気がさしていた。
そんなある日、夫が家に連れてきたトラック運転手ローランに惹かれてしまう。ローランもまたテレーズに一目惚れ。
二人が出会って直ぐに惹かれ合うこの場面は、二人の顔の表情、目の動きなどで見事に表現されていた。さすがにマルセル・カルネ監督。

 

原作はエミール・ゾラ「テレーズ・ラカン」(未読)。調べてみるとシモーヌ・シニョレが演じたテレーズとはかなり異なる人物像のようだった。
そこが映画化される意味でもあるし、楽しさでもある。
モノクロの画面は美しく、色がないことによってかえって物語性が豊かに思えてしまうのは、今の時代の目で見ているせいだろうか。

 

さて、惹かれ合った二人は密会を重ねるようになる。
まあ、不倫に走ってしまったテレーズには同情してしまう境遇もあった。
なにせ夫が駄目。体が弱いので何もしようとしない。それでいてテレーズに文句ばかり言って女中のように使う。
さらに駄目なのが同居している義母。これが息子の為だけに生きているような過保護な母。
事あるごとにテレーズにねちねちと嫌みを言って責め続ける。
こんな二人との生活からは逃げ出したいよなあ。

 

当然のことながら事件は起きる。
駆け落ちをしようとした二人に逆上した夫は、テレーズを監禁しようとして夜行列車でパリの親戚宅に向かう。
二人を追いかけて列車に乗り込むローラン。
そして争いのはずみで夫を列車のデッキから突き落としてしまう。
うわあ、どうしよう!

 

映画はここから面白くなる。
犯行を隠蔽しようとする二人の目論見は上手くいくのか。警察の調べにどこまでもしらを切るテレーズ。
しかし、息子の死に失語症になってしまった義母は怖ろしい目力でテレーズを責め続ける。おまえが可愛い私の息子を殺したんだろ、私には判っているんだよ。
この義母は本当に怖ろしい。後ろ暗いところがあるだけにいたたまれなくなるよ。

 

さらに夜行列車に乗り合わせていた復員水兵が、俺は真相を知っているぞ。バラされたくなかったら金を払え。
おお、脅迫者まであらわれてしまったよ。どうする?

 

(以下、ネタバレ)

 

最後、口止め料も払って事態は無事に収まるかと思ったのに…。
ここから、あっ!という突然の展開になる。
そしてなにも事情を知らない女が水兵に託された告発状を投函する。何とも皮肉な結末となっていた。

 

この時代のモノクロ・フランス映画は実に好い雰囲気を持っている。
シモーヌ・シニョレはこの映画の時は31歳。少し物憂い風情を漂わせていた。
のちに米国アカデミー賞英国アカデミー賞カンヌ映画祭で主演女優賞をとっていて、イブ・モンタンの奥さんだった。知らなかったなあ。

 

「スティルウォーター」 (2021年) 娘の冤罪をはらすために頑張る父親

f:id:akirin2274:20220310223300j:plain

2021年 アメリカ 139分
監督:トム・マッカーシー
出演:マット・デイモン、 カミーユ・コッタン、 アビゲイル・ブレスリン

娘を思う父親の奮闘。 ★★★

 

留学先のフランスで殺人罪に問われて収監されているアリソン(アビゲイル・ブレスリン)。
そんな娘の冤罪を晴らそうと、ビル(マット・デイモン)はアメリカからマルセイユにやってくる。
田舎町の肉体労働者だったビルは、もちろんフランスでは言葉も通じない。
どうやって娘の無実を証明する?

 

かっては記憶喪失の無敵のスパイ役を演じていたマット・デイモンだが、本作では無骨な父親役。
娘のためにフランスで頑張るといっても、96時間で問題を解決するどこかの無双親父とは違って、今作の父親は落ちぶれたブルーカラーの父親。
しかし、彼の娘を思う気持ちは純粋で、誰にも負けないぞ。

 

困り果てたビルを助けてくれたのがシングルマザーのヴィルジニー(カミーユ・コッタン)。
移民である彼女もフランスで必死に生活しているのだが、言葉の通じないビルのために通訳をかってでてくれる。
彼女の助けのもとに、事件の目撃者などに話を聞きに行くビル。

 

いつも野球帽をかぶってあごひげを蓄えたマット・デイモンは、ブルーカラーの粗野な人物像を巧みに演じていた。
短絡的な思考で闇雲に行動してみたり、怒りの衝動を抑えられなかったり。

かたや娘のアリソンはあまり感情移入のできない人物像だった。
折角フランスまで来てくれた父親をののしってみたりする。
同性愛の恋人を殺したとされているアリソン、本当に無実なのか?

 

ビルを助けてくれるヴィルジニーが本当に好い人。善意の塊のような人物。
そしてヴィルジニーの幼い娘がとても愛らしい。可愛い。
ヴィルジニーとも恋人関係のようになって一緒に暮らし始めるビル。
もうこのまま不良娘のことは置いておいて、新しい親子で暮らしたらどうなのだ?と、つい思ってしまったぞ。
でも、父親としては、邪険にされても娘のことはほおっておけないんだよな。

 

スティルウォーターってどういう意味だろう?と思っていたのだが、ビルが住んでいたオクラホマ州にある地名だった。
冒頭で、5年前のビルが土産物屋でスティルウォーターの文字をデザインした金のネックレスを買う場面があった。
ちゃんと土産物になるほどの地名だったのだ。

そしてこのネックレスがラスト近くで大きな意味を持ってくる。

 

(以下、ネタバレ)

 

ビルが冴えないままになりふり構わず頑張り、アリソンの冤罪がはれる。
最後、スティルウォーターに戻っての生活を始めたビルやアリソンの様子が描かれる。
言葉少ない会話を交わす父娘。
真実を知ってしまったことをそれとなく娘に告げる父親。
いささか苦いものを残る結末だった。

 

浮ついたところのない、しっかりしたサスペンスものでした。
マット・デイモンの役者の幅が広がったなと思わせる作品でした。