あきりんの映画生活

映画鑑賞だけのブログです。★★★★が満点評価ですが、ときに思い入れ加算があります。約2000本の映画について載せていますので、お目当ての作品を検索で探してください。監督名、主演俳優名でも検索できます。

「コンティニュー」 (2021年) 無限ループから抜け出すには・・・

2021年 アメリカ 100分
監督:ジョー・カーナハン
出演:フランク・グリロ、 ナオミ・ワッツ、 メル・ギブソン

タイム・ループもの。 ★☆

 

タイム・ループものといって直ぐに思いうかべるのはトム・クルーズの「オール・ユー・ニード・イズ・キル」。
それに、それほど有名ではないが個人的にはお気に入りだった「ドント・ゴー・ダウン」。
さあ、今作はどんな風に時間軸がループするのだ?

 

元デルタフォース隊員のロイ(フランク・グリロ)は、毎朝、目覚めた瞬間に謎の殺し屋に襲われる日を繰り返していた。
刃物で斬られたり、銃で撃たれたり、自動車事故に巻き込まれたり・・・。
死んでしまうと、また同じ日の朝に目覚める。そしてまた殺し屋に襲われるところから繰り返す・・・。

 

RPGゲームの主人公と同じように、ロイは少しずつ展開を読んでは対応術を身につけていく。
次にこいつはこう斬りつけてくるからこうかわせばいいわけだ。
この時間になると武装ヘリコプターがあらわれて窓から銃撃してくるから、このタイミングでソファの影に隠れて、っと。

 

いろいろな殺し屋が次々にあらわれる。
イケイケ姉ちゃん二人組の車ぶっ飛ばし追跡屋とかも登場するが、一番インパクトがあったのは見事な刀捌きをみせる東洋系お姉様。
見得を切っての台詞は、「私は観音、観音が成敗する!」。
なんのことやらさっぱり判らないが、とにかく印象的。

 

という具合に、出だしは好調。この後どう続くのだ?と期待を持たせてくれる。

しかし・・・。

 

共演には、ロイの妻役にナオミ・ワッツ、敵のボス役にメル・ギブソン
通りすがり(?)の謎の剣士役でミシェル・ヨーも顔を出していた。
とかなり豪華な顔ぶれなのだが、しかし・・・映画自体は・・・まったく面白くない・・・。

 

まずはループの仕組み、というか規則性がいい加減。
繰り返されるループ内容の変化がありきたりで、深みがない。同じところをぐるぐる回っているだけという感じ。
決定的だったのは、このループの謎、というかこの物語に必要だった意味が、まったく見えてこなかったこと。

 

なんかねえ、メル・ギブソンが仕組んでいた極秘計画があって、ナオミ・ワッツもそれに荷担していたようなのだ。
で、最後に世界を救うためにループを繰り返しているロイは自らの存在を消去しようとするのだ。
なんだ、これ?

 

休日の午後とか、深夜とかに地上波で放送していたら、まあ、時間つぶしに観てみるか、そんな程度の映画でした。

 

「タイタンの戦い」 (1981年) 着ぐるみ、人形を使った特映もの

1981年 アメリカ 118分
監督:    デズモンド・デイヴィス
出演:ハリー・トムソン、 ジュディ・バウカー、 ローレンス・オリビエ

歴史的な特映もの。 ★★☆

 

勇者ペルセウスと王女アンドロメダの物語。ギリシャ神話では有名な物語なのだろう。
クラーケン、ペガサス、メデューサなど、どこかで名前を聞いたことのある異形のものたちも登場する。
2010年にもサム・ワーシントン主役で作成されているが、こちらは1981年のもの。

 

この映画の一番の見所は、名人・ハリーハウゼンの特撮にあると言っても過言ではないだろう。
もちろんCGも何も無い時代の人形アニメである。
今の華麗な映像技術に慣れた目でみると、かえってそこには温もりがあり、凄いモンスターを作ってやろうという必死さのようなものも伝わってくる。

 

こういったギリシャ神話ものを観るといつも思うのだが、ギリシャ神話の神様というのは、概してダメダメ人間のよう。
女たらしだったり、力自慢の暴れん坊だったり、美貌を鼻にかけたうぬぼれ屋だったり。
そのうえにとてつもない力を持っているのだから、人間としてはたまったものじゃない。

 

その典型が神様の王様のゼウス(ローレンス・オリビエ)。
この映画の物語も、女好きのゼウスが人妻を犯して生ませた我が子ペルセウスを贔屓したために起こった騒動。
そこに周りの神様たちの嫉妬やら妬みが絡んでくる。
しょうもない神様たちだよなあ。

 

神様の意地悪から王女アンドロメダ(ジュディ・バウカー)を救ったペルセウス(ハリー・トムソン)は晴れて恋人同士となる。
しかし、今度はクラーケンへの生け贄にされることになったアンドロメダを助けなくてはならない。
あの怪物クラーケンをどうやったら倒せるのだ?

 

物語はロールプレイゲームのような感じで進む。
まずは、期日までに移動するために天を駆けるペガサスを手に入れなくてはならない。
そのミッションが成功したら、今度はどこかの山にいる3人の魔女からクラーケンを倒す方法を聞き出さなければならない。
その方法とは、メデューサを倒してその首を武器にすること。
なのでクラーケンを倒す前にまずはメデューサを倒さなければならない・・・。

 

主人公にはあらかじめ武器としてゼウスから特別な剣、兜、盾が与えられている。
途中からは助けてくれる梟のブーボーもあらわれる(雰囲気がスターウォーズのロボットに似ていると思ったのは私だけ?)。
うん、なかなかに頑張っている。
髪の毛が蛇であるメデューサも不気味な造形となっていた。

 

もちろん人間の俳優が活躍する映画なのだが、観る心づもりとしては人形劇の「サンダーバード」や「ひょっこりひょうたん島」あたりを楽しむ感じに近い。
どこかのどかな気持ちでファンタジー・アクションを観ることになる。
充分に楽しめます。

 

「ゴヤの名画と優しい泥棒」 (2020年) 名画を盗んだそのわけは

2020年 イギリス 95分
監督:ロジャー・ミシェル
出演:ジム・ブロードベント、 ヘレン・ミレン

名画盗難の真相。 ★★★

 

ゴヤの名画「ウェリントン公爵」は、実際に1961年に盗難事件に遭い、当時のイギリス中で大きな話題になった。
この映画はその事件の顛末を元に作られている。
こんな珍妙な盗難事件が本当にあったとは、驚いてしまう。

 

ロンドンに住むケンプトン(ジム・ブロードベント)は人は好いのだが、独りよがりのところがある理想主義者。
おまけに超おしゃべり。周りの人は、ちょっと迷惑がっている?
で、仕事も長続きせず、自分は作家気取りで妻ドロシー(ヘレン・ミレン)に頼りきった生活をしている。

 

そんなケンプトンは、年金生活者のために公共TV放送の受信料無料化を求める活動をしていた。
しかしそれも独りよがりな思い込み活動で、誰にも相手にされていない。
傍目からはちょっとイタイ感じなのだが、ケンプトンはそんなことには無頓着。
ジム・ブロードベントが飄々とした演技で、人をくっている。

 

そして彼は美術館“ロンドン・ナショナル・ギャラリー”からゴヤの傑作「ウェリントン公爵の肖像」を盗み出してしまうのだ。
名画だから警備も万全で簡単に盗めるはずもないと誰もが思うところだが、なんとケンプトンは窓から忍び込んで易々と盗んでしまう。あれ?
こんなことが本当にあったの?

 

ここからの展開が面白い。
警察は、名画窃盗は大がかりな国際的盗みのプロ集団の仕業に違いないと考える。
まあ、普通に考えればそうだよなあ。
警察の威信にかけても何としてでも犯人を捕らえなくては。名画を取り戻さなければ。

 

そのうちに犯人からの要求が届く。名画を返して欲しかったら高齢者の公共TV視聴料を無料にしろ!
なんだ、この人を馬鹿にしたような要求は。
14万ポンド(日本円にすると数千万円?)の名画だぞ。

 

劇中で007シリーズの第一作「007/ドクター・ノオ」が映る場面がある。
実はあの映画では、盗まれて所在不明の「ウェリントン公爵」はドクター・ノオのアジトにさりげなく飾られていたのだ。
そうか、007の世界ではあの名画を盗んだのはドクター・ノオだったのか。有名事件だったのだな。
それをこっそり挿入するなんて、監督のユーモア、ウィットが垣間見られるなあ。

 

さすがに警察は無能ではなかった。
やがてケンプトンは名画窃盗犯として逮捕されてしまい、裁判員裁判が始まる。
ここからの裁判場面が面白い。

 

ケンプトンは持ち前の(時に独りよがりだった)話術で、滔々と持論を述べて居合わせた人々を自分の世界に引きこんでしまう。
自分は私利私欲でやったわけではないぞ。あんな絵に高い税金を使うぐらいならそのお金で貧しい人たちに無料でTVを観る歓びを与えてやってくれ。
はたして彼は罪に問われるのか・・・。

 

(以下、ネタバレ)

 

判決が言い渡され、まず一つ目の罪で有罪!と宣告される。
えっ、有罪? 当然無罪になるのだろうと思って観ていた者は、期待と違っていささかがっかりする展開・・・。
しかしそれは些末な罪だった。それに続く肝心の罪状3つでは、どれも無罪!
やったね。

 

しかも、名画窃盗の”罪”は、ケンプトンが残された息子を護るためにとった行動でもあったのだ。
おお、そんな裏事情もあったのか。そうか、本当に心優しい泥棒だったのだね。
暴走気味の夫に呆れ果てながらも、芯のところではケンプトンの好き理解者でもある妻を、ヘレン・ミレンがさりげなく演じていた。

 

犯罪を描いた物語ですが、本質は人情ドラマでした。
見終わったあとで、それこそ”優しい”気持ちになれる映画でした。

 

「ナイル殺人事件」 (2022年) 動機はある、アリバイもある?

2022年 アメリカ 127分
監督:ケネス・ブラナー
出演:ケネス・ブラナー、 ガル・ガドット、 エマ・マッケンジー、 アーミー・ハマー

クリスティ原作の推理もの。 ★★☆

 

原作はアガサ・クリスティのエルキュール・ポワロもののひとつ、「ナイルに死す」。
かつてはジョン・ギラーミン監督で1978年に映画化されている。
このときのポアロ役はピーター・ユスティノフだった。
今回は監督兼ポアロ役をケネス・ブラナー。さあ、どうだろうか。

 

もちろん原作も読んでいるし、前作も観ている。
物語のあらすじは知っているし、犯人も知っている。だから眼目は、ケネス・ブラナーがどんな風に映画化したのか、というところ。

 

舞台はナイル川観光をする豪華客船。
そこでおこなわれているのは、大富豪の娘リネット(ガル・ガドット)と彼女に見そめられた逆玉の新郎サイモン(アーミー・ハマー)の結婚祝い旅行。
しかし、乗客のほとんどはリネットに何らかの殺意を抱く者ばかり。

 

中でも重要人物は、婚約者だったサイモンを親友のリネットに横取りされたジャッキー(エマ・マッキー)。
親友だと思っていたのに私の婚約者を奪うなんて、絶対に許せないわ。
それにお金に目がくらんで私からリネットに乗り換えるなんて、サイモン、あなたも許さないわ。

 

船に乗り合わせているのは、他には、不正がばれそうなリネットの財産管財人や、リネットにふられた医者などなど。
そしてリネットが殺される。
この閉ざされた船の中の誰かが犯人だということになり、乗り合わせたポワロ(ケネス・ブラナー)が”灰色の脳細胞”を働かせるわけだ。

 

結論から言えば、あまり観るべきもののない映画だった。
たしかにナイル川の遺跡や大自然をめぐる映像は美しい。
リネット役のガル・ガドットは相変わらず華のある美しさ。
それに、当世の風潮を受けて、黒人の歌手がいたり、レスビアンのおばさまたちもいる。
しかし、わざわざリメイクしたほどの値打ちを見つけられなかった。残念。

 

前作では、リネットに恨み骨髄のジャッキー役のミア・ファローがとにかく好かった。
病的なまでに執念深くつきまとう様が実に不気味なほどだった。
今回のエマ・マッキーは、それに比べると普通の可愛い女子すぎた。

 

いっそうのこと、リネットとジャッキー役を入れ替えていたらどうだったろうと考えた。
ガル・ガドットが病的にやつれたようなメイクをしてジャッキー役を演じたら、面白かったのではないだろうか。

 

これは前作を観た者の感想ということである。
前作は40年近く前の作品であるし、それを知らない人も少なくないだろう。
そんな人には充分に楽しめる映画、なのかな・・・。

 

「2046」 (2004年) 目眩く官能美

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2004年 中国 129分
監督:ウォン・カーウァイ
出演:トニー・レオン、 チャン・ツィイー、 コン・リー、 フェイ・ウォン

花様年華」の続編。 ★★★★

 

前作「花様年華」では、プラトニックに愛した女性チャン(マギー・チャン)と結ばれなかったチャウ(トニー・レオン)。
今作は、チャウがその後にめぐりあった3人の女性との恋模様を描いている。
前作の、閉じられた空間での湿度の高かった静的な物語に比べると、今作ははるかに動的である。

 

舞台は1967年の香港。
今は生活のために官能小説などを書いているチャウは、とあるホテルの2046号室の隣の部屋に滞在する。
前作でチャウがプラトニックな愛を交わしたチャンと一緒に過ごしたホテルの部屋が2046号室だった。
そして今チャウが書いているSF小説のタイトルも「2046」である。

 

そのSF小説では、主人公の男(木村拓哉)は美しいアンドロイドたちが客室乗務員を務める列車に乗り、2046という都市へ向かう。
そこは“失われた愛”を取り戻せる場所だというのだ。前作で”愛”はカンボジアの樹の洞に封じたのだった?

 

映画は小説世界と現実のチャウの世界が交差する。
そしてチャウの回想世界も限れ込んでくる。
それらは柔らかく絡み合って、全体がどこか夢の世界のような妖しい雰囲気を纏っている。

 

チャウの隣の部屋の2046号室には、高級娼婦のバイ・リンチャン・ツィイー)が暮らし始める。
二人の間にはやがて男女の関係が生じる。
しかしバイ・リンは本気でチャウを慕っているのに、彼の方は遊びだと割り切っているようなところがある。
健気で一途なバイ・リンが可哀想。
演じているのがチャン・ツィイーなのでよけいに可哀想。

 

チャウがシンガポールにいた頃に苦境を助けてくれたのが賭博師のスー・リーチェン(コン・リー)。
暗い過去を背負った謎めいた女性という感じでチャウの前にあらわれて、そして去っていく。
登場場面はそれほど多くはないのだが、さすがコン・リー、しっとりとした余韻を残す。

 

もう一人の女性がホテル・オーナーの娘、ジンウェン(フェイ・ウォン)。
彼女は日本人商社マン(木村拓哉の二役)との叶わぬ恋に悩んでいる。
ジンウェンの愚痴を聞きながら、チャウが一緒に屋外階段でタバコを吸う場面も好かった。

 

挿入歌としてどこか懐かしい感情を誘う「シボネー」が出てくる。カーウァイ監督はこうした曲の使い方が上手い。
恋する惑星」でも「夢のカリフォルニア」が効果的に使われていた。
小説世界が描かれる場面では、前作「花様年華」でも使われた「夢二」(鈴木清順監督作)のテーマ曲が流れていた。

 

映画で描かれているのは、毛沢東による文化大革命の翌年の香港である。
そしてその香港がイギリスから中国に返還されたときに、中国政府は2046年までは香港に社会主義政策をおこなわないとした。
カーウァイ監督が舞台にした香港は、雑多で色が溢れているような場所だった。

 

「すべての記憶は涙で濡れている」という台詞が出てくる。
チャウのモノローグで映画は進んでいた。
そのモノローグは基本的に映し出されている映像を解説しているのだが、その解説にはチャウの感情がにじみ出てくる。
回顧のモノローグなので、どこか切なさがつきまとっている。
人は精一杯に生きていこうとするのだが、哀しいことは常につきまとうのだ。その様が愛おしくも切ないのである。

 

時は流れ、人々は生き抜いていく。
情感があふれている映画だった。

 

「アワー・フレンド」 (2019年) 美しい心、優しい気持ち

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2019年 アメリカ 126分
監督:ガブリエラ・カウパースウェイト
出演:ケイシー・アフレック、 ジェイソン・シーゲル、 ダコタ・ジョンソン

無償の友情。 ★★☆

 

要約すれば、死に向かう妻とそれを支える夫と友人の話。
病が発覚してからの日々と、それ以前の日々が交互に映されて、死が近づくということがどんなものであるかを感じさせる。
そしてこの映画の一番の主役は、そんな夫婦を助け続けた友人である。

 

2人の幼い娘を育ててるジャーナリストのマット(ジェイソン・シーゲル)と妻のニコル(ダコタ・ジョンソン)夫妻だったが、ニコルが末期がんであることが宣告される。
妻の介護と子育に翻弄されるマットを助けてくれたのは親友のデイン(ケイシー・アフレック)だった。
デインは二人と一緒に暮らしながら夫婦をサポートしてくれるようになる。

 

映画は、ニコルが癌の告知を受けてからの2年間と、それ以前の日々がフラッシュバックで描かれる。
観る者としては若干混乱する作り方ではある。
しかし、時間軸通りでは病が重くなっていくだけで単調になりがちな物語に、上手く変化をつけていた。

 

デインは自分自身の仕事や恋人との関係まで犠牲にしてまでマット夫妻を支え続けてくれる。
なかにはデインの行為を偽善だと非難する人もいる
何か魂胆があるに違いないとマットに忠告する人まであらわれる。

 

そうなのだ、どうしてそこまでしてあげられるんだ?と、大方の観ている人も思うに違いない。
それほどに無償の友情なのだ。
しかも、なんとこの映画は実話を基にしていた。本当にこんな友情に厚い人物がいたんだ。

 

実は、かつてデインは自殺を考えるほどの疎外感の中で生きていたのだ。
そんな彼を励まして生きることを助けてくれたのがマットの家族だったのだ。
今度は自分がマットたちを助けてあげなくては・・・。

 

デインは言う、マットたちを助けることによって自分も同時に救われていたのだ、と。
自宅で静かに息を引き取ったニコル。それを見守ったマットやデイン。
いつまでも立ち直れなかったデインのためにマットは本を書く。その本を読むことによってデインは救われたのだ。

 

人間の心って、こんなにも純粋になれるのだ、ということを教えられる映画でした。
好い映画です。
でも、私の映画評価がそれほど高くならなかったのは、ひとえに私がそれほど純粋な人間ではなかったせいです(涙)。

 

「タイムリミット」 (2003年) ダメ男のデンゼル・ワシントン

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2003年 アメリカ 105分
監督:カール・フランクリン
出演:デンゼル・ワシントン、 エバ・メンデス

ちょっとダメ男のワシントンのサスペンス。 ★★★

 

のどかな田舎町で4人の部下を束ねる警察署長のマット(デンゼル・ワシントン)。
生真面目なマットだが、妻のアレックス(エヴァ・メンデス)とは別居中で離婚一歩手前の状態。
だもので、よせばいいのに高校時代の後輩で今は人妻のアンとダブル不倫状態。
おいおい、いいのかい?

 

20年前の作品なので、デンゼル・ワシントンもまだすっきりとした体型。
貫禄というよりも精悍な顔つき。いかにも善人という雰囲気である。
(だから騙されやすいんだよ 汗)

 

さて、マットの浮気相手のアンは夫クリスからDVを受けていた。
気になって仕方がないマット。でもおおっぴらに介入するわけにもいかないし、アン、気の毒だなあ。
と、さらに、アンに頼まれて病院受診の付き添いを頼まれたマットは、そこで医者からアンが末期癌であることを聞かされる。
おお、可哀想なアン。何かしてやれることはないのか・・・。

 

ということで、これで先進治療を受けてくれ、と警察で保管していた大金の札束をこっそりと持ち出してアンに渡してしまうマット。
おいおい、いいのかい・・・。
ありがとうマット、お礼に私の保険金受取人をあなたにしておくわ。

 

すると、ある夜にアンの家が大火事となり、その焼け跡からアンとクリスと思われる焼死体が見つかる。
しかも二人が殺されたあとに火がつけられているぞ。これは殺人事件だぞ。
捜査の責任者は、なんとマットの奥さんで刑事になったアレックス。
あなた、離婚寸前だけれど、事件解決のために所轄署長として協力してちょうだいね。

 

しかし、マットにとってはここからがまずいのである。
アンの保険金受取人は自分になっている、アンの携帯電話の発信履歴には自分がたくさん残っている、おまけにアンと密会している目撃者まで現れてしまう。
マット、絶体絶命、万事休す。
おまけに警察署に保管していた大金を本部に届けるようにとの連絡も来てしまう。
ほら、言わんこっちゃない。どうするんだ?

 

真面目な警察署長は、保険会社からの問い合わせ返事を捏造したり、携帯電話の発信履歴を細工したり、大慌て。
アレックスが捜査を進める一歩手前で、なんとかその場しのぎをバタバタとしていく。
このあたり、予想以上にハラハラして面白いのである。
もう駄目か、ついにバレるか、という寸前で捜査の目をかいくぐっていく。

 

おお、デンゼル・ワシントンもこんな役を演じていたんだ。
普段は強面・アクション無双の役柄が多い彼だから、この映画での慌てふためくダメ男ぶりが
楽しい。
それに、ちょっと人をくったような署の検死官が上手い具合に、彼に協力してくれるのである。
彼が好いスパイスになっていたなあ。

 

(以下、ネタバレ)

 

やがて再度訪れた病院で、アンは癌などではなかったことが明らかとなる。
マットが会った医者も偽者だった。
ということは・・・。アンに渡したあの大金は・・・?

 

隠されていた事件の真相は、言ってみれば、まあ大方の人は予想していたようなところだろう。
しかし、真面目くさったワシントンが、どうすりゃいいんだっ!とあたふたとする展開は充分に楽しめた。

 

それにしても、恐妻風だったエバ・メンデス、ちょっとあっさりとよりを戻しすぎじゃね?
ちょっとどうよと言いたくなる奥さんの態度だが、ワシントンが嬉しそうだから許してしまおう。
でも、奥さんにはもう一生頭が上がらないね。