あきりんの映画生活

映画鑑賞だけのブログです。★★★★が満点評価ですが、ときに思い入れ加算があります。約2000本の映画について載せていますので、お目当ての作品を検索で探してください。監督名、主演俳優名でも検索できます。

「グッバイ・クルエル・ワールド」 (2022年) 悪人だらけの大金奪い合い騒動

2022年 127分 日本 
監督:大森立嗣
出演:西島秀俊、 大森南朋、 玉城ティナ、 宮沢氷魚

お洒落サスペンスもの。 ★★★☆

 

ポスターのこの極彩色のケバケバしい感じに、まずは惹かれる。
何か突き抜けたものを見せてくれるのではないかと期待を盛り上げてくれる。

 

ラブホテルの一室ではヤクザの資金洗浄がおこなわれていた。
と、そこを5人組の強盗が襲い、1億円近い大金を奪うことに成功する。
互いに身元も明らかにしていない強盗たちは、金を山分けしてそれぞれの世界に戻っていった。
一方、金を奪われたヤクザの方は大騒ぎとなる。おのれ、金を盗ったのはどこのどいつだっ。

 

冒頭から強盗一味、ヤクザ組織が大勢出てくる。
彼らがそれぞれの事情で右往左往する。文句を言い、怒鳴り散らし、相手を怒る。
喧噪のただなかで物語がすすんでいくようで、慌ただしい。
落ち着きのないけばけばしさ、それがこの映画の雰囲気である。

 

ヤクザ組織が手なずけている現役刑事の蜂谷(大森南朋)が、職権を利用して強盗を突き止めようとする。
もう調べれば調べるほど、情けないほどにクズな奴らばっかり。
ま、そういう蜂谷もクズなのだけれどね。

 

強盗の一員の安西(西島秀俊)は今はまっとうな旅館業をしようとしている。
大人しく、うわべは普通の常識人のように見える。しかし彼は元ヤクザだったのだ。
役どころとしては、西島秀俊が元ヤクザで悪人というのはイメージ的にちょっと無理があったかな(汗)。

 

そこへいくと、彼のところにあらわれた元舎弟を演じた奥野瑛太は凄まじい迫力だった。
行き場を失い、やけくそになっているチンピラで、こんな人物とは絶対にお近づきにはなりたくないとの雰囲気を見事に演じていた。

 

ワル中の悪だったのは、強盗の一員で闇金業者の萩野(斎藤工)。
こいつは悪いよ。他の弱い奴らを踏み台にして使い捨てにして、自分一人が甘い汁を吸おうとする。
だものだから、後半で酷い目に会う。ざまあみろ。

 

この映画の華になる部分を受け持っていたのが、強盗の一員の美流(玉城ティナ)と、強盗現場になったラブホテルの従業員の大輝(宮沢氷魚)。
若い二人は、前半ではおずおずといった雰囲気だったのだが、物語が展開するにつれて腹をくくってくる。
もうこうなりゃ散弾銃ぶっ放しで、気にくわねえ奴はみんなぶっ殺してやるぜ。

 

大金を奪われるヤクザも悪党、奪う強盗一味も悪党、そしてヤクザと手を組んだ刑事も悪党。
悪党だらけの映画だった。

 

(最後の場面のネタバレ)

 

最後、どちらも満身創痍の安西と蜂谷刑事が、防波堤に腰を降ろしてサシで話し込む。
カメラが引いて海の俯瞰を映している画面に一発の銃声が鳴る。
この銃声は、どっちだ?

 

タランティーノ映画、あるいは初期のガイ・リッチー映画に影響を受けている部分があるのだろうか。
もしあるとすれば、その影響の受け方は悪くなかったと思う。

 

 

 

 

「ボーはおそれている」 (2023年) これは悪夢か妄想か

2023年 179分 アメリカ 
監督:アリ・アスター
出演:ホアキン・フェニックス

幻想譚? ★★★★

 

冒頭からボー(ホアキン・フェニックス)は不安とちょっとした失敗であたふたしている。強迫観念の塊なのだ。
うがい水を飲んでしまったぞ、おとなしく寝ようと思ったのに隣人からうるさいと文句を付けられてしまったぞ、水と一緒に飲むように言われた薬を飲んだのに水道が出ないぞ、恐ろしげな入れ墨男に追いかけられたぞ、部屋の鍵を盗られて荒らされてしまったぞ・・・。

 

と、細かく書いていたら切りがないのだが、怯え顔のホアキンあたふたぶりに観ている者も不安になってくる。
これ、現実に起こっている出来事? それともボーの妄想?
その両者の境界も曖昧なままのため、いよいよ物語は混迷していく。悪夢にどんどん引き込まれていく感じである。

 

そして、つい先ほど電話で話していた母が突然、死んでいると告げられる。えっ?
実家に帰らなけりゃ・・・。
こうしてボーの里帰り旅が始まるのだが、アパートの玄関を出るとそこはもう奇妙な世界に変容していたのだ。

 

大混乱している街中でボーは車にはねられた、親切な(?)医師一家に助けられ、親切に(?)介抱される。
この柔和な笑顔で上品で親切な医師夫婦がとてつもなく気味悪い。
このあたり、上手いなあ。

 

こんな事をしてはいられない、母が亡くなったという実家に一刻も早く帰らなければ・・・。
それなのに旅路の森の中では劇団一行と一緒になり、ボーは芝居を観ていたりもする。
急いでいるのに、なにやかやに時間がとられて刻限に遅れてしまう。気ばかりが焦る。
そう、夢のなかで約束に遅れる、そして焦れば焦るほどさらに遅れてしまう、あの感じである。

 

そしてやっと家に着いてみると、(当然のことのとして)母の葬儀はもう終わっていた。
誰もいない立派な家に呆然と倒れ込むボー。
そして実は生きていた母が現れる。えっ?

 

これまでの母との確執が振りかえさせられる。
アリ・アスター監督はとにかく家族というものにこだわっているようなのだ。

 

最後、ボーは小舟に乗って海原を漂い始める。
ああ、これは黄泉の国へ行くメタファーで終わるのかななどと安易な思いで観ていたら・・・まだまだ終わらないのだ。

 

それから、それからボーは巨大な円形プールのようなところへ引きずり出され、衆人環視のもとに最後の審判にかけられるのだ。
そしてボーの乗った小舟はついに転覆してしまい、ボーは水中に没していく。
なんということだ。

 

エンドクレジット時には転覆したボートがずっと波に揺られている映像が映る。
いつまでも落ち着かない揺れが、いつまでもどこか不安なものをかき立てていた。

 

あとに尾を引く映画だった。怪作!
監督はインタビューで「みんな、この映画を観てどん底気分になればいいな」と言ったとのこと。
確かにね。

 

「PIG ピッグ」 (2021年) 俺の豚を返せっ!

2021年 91分 アメリカ 
監督:マイケル・サルノスキ
出演:ニコラス・ケイジ

風変わりな人間ドラマ。 ★★

 

オレゴンの山奥で、ロブ(ニコラス・ケイジ)は一人で山小屋に住んでいた。
髪はぼうぼう、ひげも伸び放題。世捨て人のような生活で、相棒は地中のトリュフを探してくれる忠実な豚だけ。
掘り起こしたトリュフを毎週木曜日にやって来るトリュフ買い付け人のアミールに売って生計を立てている。交流があるのはこのアミールだけ。

 

画面は一貫して暗く、色彩にも乏しい。閉塞感を感じさせる作りとなっている。
そんな生活の中、ロブは夜中にやってきた侵入者に殴られて、大事なトリュフ豚を盗まれる。
おのれ、俺の豚を返せっ!

 

とここまでの物語設定であれば、この後の展開としては盗まれた豚を取り戻すニコ・ケイのアクション・リベンジが想像できる。
ただの世捨て人だと思っていたら、実はとんでもない戦闘能力があって・・・というお約束の展開、か?。
実際、ポスターの引き文句も「慟哭のリベンジスリラー」と、そういったものをにおわせるものになっている。

 

しかし、今回のニコラス・ケイジは違ったのである。どこまでも陰鬱で耐える人なのである。
隠されていた能力はまったく別のものだった・・・。あれ?

 

ロブはアミールに手伝わせて豚盗人を探そうとする。
怪しげな一室でおこなわれているバイオレンス・ショーで、相手に無抵抗に殴られて資金を稼いだりもする。

 

顔面血だらけのままでロブはブタを盗んだ若者二人を探し当てる。
豚は盗みを依頼してきた人にもう渡してしまったよ。そうか・・・。
さあ、ここでロブは何もしないのである。若者二人を責めることもしない、代償を求めることもしない。
ロブはただその事実経過を受け入れていく。
そう、彼は罪を犯した他者を責めないのである。これではまるで聖者のようではないか・・・。

 

ロブは有名レストランのオーナー・シェフに会いに行ったりする。
彼に再会した人は皆驚く。おお、あなたがどうしてここに?
じつはロブは伝説的な一流の腕を持ったシェフだったのだ。今をときめくそのオーナー・シェフはロブが破門したこともある弟子だったのだ。

 

こうして、顔面の傷をそのままにして、ロブはパンと赤ワインを手にかつての弟子たちを訪ねて歩く。
殴られてもそれを受け入れ、他人の罪を問わない。
こうしたロブの姿にキリストを重ね合わせる解釈の記事もあった。なるほど。そういう見方もできるのか。

 

豚を盗むように画策したのは、トリュフ売買を手広くしているアミールの父だった。
そのアミール父子は母親の自殺未遂をきっかけに親子関係が破綻していたのだが、彼らにロブは思い出の料理を作る。
おお、この味だっ!
俺は一度作った料理は忘れない、誰をどんな風にもてなしたのかも忘れない。
天才料理人て、どれだけすごいんだ。

 

ロブが愛していた豚はどうなったのか。
そして豚の運命を知ったロブはどうしたのか。

 

これはニコラス・ケイジの出演100本目の映画になるとのこと。
そしてこの映画の眼目は、豚盗難のサスペンスではなく、謎めいていたロブの過去が明らかになっていき、その生き様が徐々に浮かび上がってくるというサスペンスだった。

 

いつものニコ・ケイ映画とは違って、私にはあまりにも禁欲的で閉塞感のある作品だった。
最後にロブは、豚はいなくても俺はトリュフを見つけられる、ただあの豚を愛していたんだ、と言う。
・・・そうだったのか。


最後までカタルシスはないままで、陰鬱な気分のままで見終わった作品だった。

「大名倒産」 (2023年) 大借金っ!ええ~っ!

2023年 120分 日本 
監督:前田哲
出演:神木隆之介、 杉咲花、 佐藤浩市

コミカルな時代劇。 ★★☆

 

原作は浅田次郎の同名小説(未読)。
こんな小説も書いていたのだなあ。しかし、文庫本では上下2巻の長さとのこと。
彼のことだから人情話なのだろうが、そんなに長く書くことがあったの?

 

舞台は江戸時代、越後の丹生山藩というところ。
平穏に暮らしていた下級役人の息子の小四郎(神木隆之介)は、ある日突然に丹生山藩主の跡継ぎだと知らされる。ええっ~!
しかも実父の一狐斎(佐藤浩市)は、小四郎に国を任せて隠居してしまう。

 

いきなり藩主への大出世をした小四郎だったが、実は丹生山藩は25万両(今の金額にすれば100億円というところか)の借金を抱えていた。
ええ~っ! 大借金っ! 驚く小四郎。
この借金を何とかしなければ、藩主はその責任をとって切腹だぞ。ええ~っ! そんなあ~。

 

ちょんまげ姿の神木隆之介はそれだけでどこかコミカルな雰囲気だった。
どこから見ても気の弱い善人である。
特攻隊の生き残り役(「ゴジラ-1.0」です)のような凜々しさを封印して、巻きこまれた騒動に右往左往する。
それでも、藩主となったからにはすべては民のために、と頑張る。どこまでも善人である。

 

責任を小四郎に押しつけた父の一狐斎だったが、なあに、借金の返済日に藩が倒産宣言をして踏み倒せばよいだけのことじゃ、という案を持ち出してくる。
でも、そんなことが本当に出来る? 
幕府は怒って、やっぱり藩主は切腹になるんじゃないの?

 

大借金の裏には当然ワルの陰謀が渦巻いている。
キムラ緑子扮する金貸しは花魁のような妖しげな格好をしていて、はじめは誰か判らなかった(苦笑)。
それにこういった筋書きの場合、必ず登場する悪老中に石橋蓮司。もう鉄板のワルぶりである。
そしてもう一人は実の父の一狐斎。佐藤浩市も正義の人から狡がしこい人まで演じて、どれも様になるのだからたいしたもの。

 

家臣の3兄弟をひとりで演じた梶原善(3人の顔のほくろの位置が違う)がバタバタとしかめっ面で笑わせてくれた。
うつけ者の兄役の松山ケンイチも、こんな役も上手いものだなと感心。
小四郎の幼なじみの町娘役に杉咲花。彼女もどんな役どころでも違和感なく演じてみせる。たいしたもの。
(しかし、一介の町娘が藩の中枢部に入り込んで指図をするって、あり得ないんですが・・・ 苦笑)

 

さて物語。小四郎は周りのみんなの協力で藩の財政再建に乗り出す。
参勤交代を経費節約のために野宿でおこなってしまうって、どうよ(笑)。
さらに、大借金の裏の悪事を暴いていく。
やっぱりこんな裏があったのか。

 

こういった筋立ての王道の展開で、意外などんでん返しとかとは無縁だが、安心して観ていられた。
肩の力を抜いて、ほっこりとしたい気分の時にでも鑑賞を。

 

 

「パーフェクト・ケア」 (2020年) 悪女vs.マフィア

2020年 アメリカ 118分 
監督:J・ブレイクソン
出演:ロザムンド・パイク

悪徳後見人のお話。 ★★★

 

マーラ(ロザムンド・パイク)はやり手の法定後見人。
本来の法定後見人の仕事といえば、判断力の衰えた高齢者の代わりにさまざまな手続きをしてあげる崇高なもの。
もうボランティア活動のようなイメージもあるほど。

 

の筈なのだが、マーラは悪徳医師や悪徳介護施設と結託して高齢者たちから資産を搾り取る悪徳後見人だった。
金持ち老人を合法的にケアハウスに入所させてしまい、残された家屋をはじめとして全財産を奪い取ってしまう。
電子煙草をぷかぷか吹かして、ワルだなあ。

 

黒川博行の小説に「後妻業」というのがあった(確か映画化もされたはず 未見)。
あちらは、奥さんに死に別れた資産家老人と色仕掛けで再婚し、遺産を奪い取るというものだった。
善良な資産家老人を食い物にしようとする輩は洋の東西を問わずにいるわけだ。

 

主役のロザムンド・パイクといえば、「ゴーン・ガール」での悪女のイメージがこびりついている。
この映画でもとんでもなく胸くその悪い女を演じている。
あまりに狡がしこくて嫌~な女なので、途中から出てくる敵役のマフィアをつい応援したくなってくるほど。
この女をぎゃふんと言わせてやってくれ。
・・・あれ、主人公はロザムンドの方だよな?

 

さて、マーラの次のターゲットは、身寄りのない孤独な老資産家のジェニファー。
嘘の診断書で裁判所のお墨付きをもらったマーラは、早速ジェニファーを施設に隔離してしまう。
さあ、金目のものも家もみんな売ってしまいましょ。

 

ところが、あれ? いつもと勝手が違うぞ。
なんで切れ者弁護士がジェニファーのことを確かめに来るんだ? しっかり調べて身寄りはないはずなのに、誰が彼女のことを気にしているんだ?
そういえば、ジェニファーの顔つきをよく見ると、ただの老婆の顔じゃないぞ。
ほくそ笑んでいるのあの表情の裏には何があるんだ?

 

実はジェニファーはロシア・マフィアのボスの母親だったのだ。戸籍も巧みに作り替えたものだったのだ。
ボスの命令を受けたマフィアの手下が施設に乗り込んできて、平気で人を殺してでもジェニファーを奪い返そうとする。

 

こりゃ、普通はビビる展開だよねえ。
しかしマーラは、手を組んでいた悪徳医師が警告のように殺されてもひるまないのだよ。
もう憎々しいほどに冷静にマフィアに対抗しようとするのだ。

 

もちろん彼女自身も殺されかける。
必死で逃げ延びるマーラ。頑張るねえ。
そして反撃に出るマーラ。すごいねえ。
恐れを知らないのか。マーラの根性のすわったあの性悪さは潔いほどだった。

 

言ってみれば、強欲な悪徳後見人と家族愛に溢れたマフィアとの争いだった。
どちらも悪人なのだけれども、より悪いのはどちらなんだ?

 

貴方はどちらに肩入れをして観ていましたか?(笑)
ロザムンド・パイク、もうこれで善人の役は絶対に回ってこないと思うよ。

 

「MEMORY メモリー」 (2022年) かつては無双パパだったのだが・・・

2022年 114分 アメリカ 
監督:マーティン・キャンベル
出演:リーアム・ニーソン、 ガイ・ピアース、 モニカ・ベルッチ

殺し屋サスペンス。 ★★☆

 

リーアム・ニーソンも歳を取ったことをしみじみと感じさせられた作品だった。
かつては娘のために頑張る無双パパだった日があったことを思えば切なくもなるが、これも人の定めというもの。
かえってこの映画はその老いを巧みに活かしていた。

 

凄腕殺し屋のアレックス(リーアム・ニーソン)だったが、老いが忍び寄り、アルツハイマー病にもなってしまった。
記憶力が減退し、いろいろなことの記憶の助けに自分の左腕にメモを書いている。
もうこの稼業を引退するぞ、これが最後の仕事だ。

 

ところがそのターゲットが、メキシコから売春のために連れられてきていた少女だったのだ。
アレックスの信念は、子どもだけは絶対に殺さない、殺させない!
彼は契約を破棄しその少女を護ろうとする。

 

しかしその裏には、財閥や大富豪を顧客とする巨大な少女売春組織が暗躍していたのだ。
組織は顧客の秘密を守るために、証人になりそうな少女の暗殺をアレックスに依頼したのだった。

 

おのれ、少女を食い物にするような奴らは許さないぞ!
しかしアレックスは射撃の腕はずば抜けているものの、体力には衰えがきており、いろいろな記憶もあやふやになってきているぞ。どうなるんだ?

 

一方で、この少女売春組織を捜査しているFBI捜査員(ガイ・ピアース)がいる。
冴えないおっさん風なのだけれど、やることはきっちりとやるという正義の人。
彼は凄腕殺し屋のアレックスを突き止めるのだけれども、あれ、この殺し屋は少女売春を憎んでいるぞ、その点では好い奴なんじゃないか?
アレックスも、腐敗した警察組織の中でこのFBI捜査員だけは信用できる奴だと認めるのだ。

 

ということで、プロの殺し屋とFBI捜査員が阿吽の呼吸で助け合いながら、巨大少女売春組織に立ち向かっていく。
その組織のボスが、なんとモニカ・ベルッチおば様なのだよ。すごい。

 

マーティン・キャンベル監督なので面白さのツボは外さない。
最後まできっちりと見せてくれたのだが、あのラスト、アレックスに華を持たせて欲しかったな。
その点だけが不満。

 

「メトロで恋して」 (2004年) 貴方ならどうしていた?

2004年 90分 フランス 
監督:アルノー・ヴィアール
出演:ジュリアン・ボワスリエ、 ジュリー・ガイエ

若者の恋物語。 ★★☆

 

まだ初々しい、まだ未熟な、それだけに夢も希望も大きい(はずの)若者(といっても30歳前後の二人だが)の恋物語
残酷な運命が立ちはだかった時に、貴方ならどうしていた?

 

舞台はパリ。お洒落な恋の街パリ。
芽が出ないでいる俳優のアントワーヌ(ジュリアン・ボワスリエ)と、鉄道のウェイトレスをしているクララ(ジュリー・ガイエ)は、地下鉄で偶然に出会う。
アントワーヌはメモ用紙に、これからお茶しない?と書いて誘う。
クララは、貴方は話せないの?と返事を書く。
今わね、とアントワーヌが書いたメモ用紙に、クララは電話番号を書いて地下鉄から降りていく。

 

なんとも微笑ましい恋の始まりである。クララ役の女優さんも可愛いし。
調べてみると、パトリス・ルコント監督の「ぼくの大切な友だち」に出ていた(主人公と、大切な友だちがいるかどうかの賭をする相手だった)。
一時は当時のフランス大統領との不倫疑惑もあった女優さんのようだ。へぇ~。

 

さて。
再会した二人は親密な関係となり、結婚を考えるようになる。
しかし軽い気持ちで受けた健康診断でクララはHIV陽性であることがわかる。

 

さあ、この映画はここからだ。
思ってもいなかったHIV感染で嘆き悲しむクララ。無理もない。
彼女を支えてやれるのは恋人のアントワーヌだけ、なのだが・・・。

 

しかし、アントワーヌはクララの感染の事実が受け入れられないのだ。クララを遠ざけるようになってしまったのだ。
AIDSは死に至る病、そしてHIV感染はいずれはAIDSを発症する状態、しかも他人にもその感染を起こす可能性がある状態・・・。
2人の間には途端に距離ができてしまう。

 

この映画が作られたのは20年前である。
1990年代にはAIDSは死に至る病であり、HIV感染はそのままAIDS発症に結びついていた。
2000年代に入り、やっとHIVを沈静化する薬剤が登場し、HIV感染症は生存しうる状態となった。
この映画が作られた時代はその過渡的な状況だったのだ。
さあ、貴方はアントワーヌを責めることが出来るか?

 

クララを愛していたアントワーヌも苦しんでいたのだ。
そして6年の月日が流れるのである。
クララの苦しみを受け入れたいと考えるようになったアントワーヌ。
一方で新しい生活をアルゼンチンで始めようとしていたクララ。

 

友人達がひらいてくれたクララの送別パーティーの最中にアントワーヌは彼女を訪ねる。
そして部屋の外へ呼び出した彼女に、もう一度一緒に暮らしたいと申し出る・・・。

 

最後の場面、パーティーの部屋へ戻ったクララは、立ち去っていくアントワーヌを窓から見ていたのだ。

 

何が正しくて、誰が誤っているか、などということを突きつけてくるわけではない。
ただ、こういった判断/選択をした若いカップルがいた、という映画だった。
甘いタイトルの邦題とはうらはらに、苦い後味が残る青春映画だった。
(ちなみに原題は「クララと私」といったところ)