2016年 アメリカ 116分
監督:ジム・ジャームッシュ
出演:アダム・ドライバー、 ゴルシフテ・ファラハニ
ゆるい、何も起こらない作品。 ★★★
この映画を観るに当たっては、とにかくジム・ジャームッシュ監督作品だということを知っておく必要がある。
でないと、なんだ、これ? 何も起こらん? となってしまう(笑)。
パターソンという町に住むパターソンという名前のバス運転手(アダム・ドライバー)の1週間をたんたんと描いている。
朝6時すぎに起き、路線バスの運転をする。
帰宅したら、妻が飼っているブルドッグと夜の散歩にでかけ、馴染みのバーでビールを飲む。
それがパターソンのくり返される毎日。
そんな日常にパターソンは満足して生活しているようだ。
いつも小さな手帖を持ち歩いていて、わずかな時間を見つけては詩を書きとめている。
妻以外には誰もその存在を知らない詩を、パターソンは毎日書きとめている。
と書くと、退屈してしまう映画ではないかと思うところだが、そこがジャームッシュなのである。
以前に彼の映画の感想として、ぬるま湯に入っているような映画だ、と書いた。
入っているときは何か物足りないような気がするのだが、湯から出ると寒いのでいつまでもうだうだと湯に浸かっている、次第にそれが満ち足りたひとときのようにも思えてくる。
まあ、そんな感じなのだ。
くり返される日常だが、わずかな違いはある。
会社の配車係の男が、毎朝少しずつ異なる些細な愚痴をこぼす。
バーでは破局した女につきまとう男もいて、ある夜には騒ぎを起こしたりもする。
仕事の帰りに詩を書いている少女に出会ったりもする。
パターソンは小さなマッチ箱にこだわっていて、あちこちで双子があらわれたりもする。
目覚めた奥さんが、双子を産んだ夢を見たの、と語ったことが情景として画面に出てきているわけだ。
そんな風に、うわべは同じように見えていても、毎日は少しずつ違うことが起きる日が積み重ねられていくのだ。
パターソンの書く詩はナレーションで聞こえてくる。
彼はそんな毎日の中に詩を感じて、それを秘密のノートに書きとめているわけだ。
私たちの毎日もそんなものだと、ジャームッシュ監督が言っていると捉えることも可能であるだろう。
しかし、そんな理屈をつける必要はなく、この映画は観たい。
ただ、のんびりとぬるま湯に浸かっているように、2時間足らずの時を過ごしたい。