1988年 アメリカ
監督:クリント・イーストウッド
出演:フォレスト・ウィティカー
ジャズの巨人の伝記物。 ★★★
チャーリー・パーカーといえば、少しでもジャズを聴く人なら誰でも知っている。
アルトサックス奏者だったパーカーは、ビ・バップの創始者でもある。
バードとは、そんな彼の愛称。
クリント・イーストウッドが大のジャズ好きだというのは有名な話。
そんな彼だから、チャーリー・パーカーにリスペクトしながらの映画となっている。
ただ、イーストウッドは麻薬を絶対に容認しない考えの持ち主でもある。
そこで麻薬に溺れながらの人生だったパーカーをどのように描いたか、が問題ともなってくる。
映画は、パーカーの人生をコラージュのように切り取って描いている。
時間軸は飛んだりまた遡ったりする。しかし、一貫した人物像なので観るうえでそれほど混乱することはない。
パーカーは若い頃から胃潰瘍の痛みに苦しめられている。
その痛みから逃れようとして酒や麻薬に溺れていく。
パーカーを演じたのはフォレスト・ウィッテカー。
好きな俳優だが、実際のパーカーにはまったく似ていなかったとのこと。
(彼はとてもハンサムで女性には大変にもてたらしい)
しかし、いかにもジャズマンだという雰囲気をよく出していた。好い俳優である。
劇中での演奏は、実際にパーカーが吹いたものを取り出し、他のパートは今の演奏をデジタル処理して再現したとのこと。
自然な感じに仕上がっていて、自ら作曲をしたりもするイーストウッドのこだわりが成功していた。
パーカーの演奏に惚れ込んだ奥さんが素晴らしい人物像だった。
彼のあまりの破滅的な生き方に呆れながらも最後まで彼を支え続けていた。
あの頃は白人女性が黒人と結婚するというだけでもかなりの勇気が必要だったのではないだろうか。
カウント・ベーシーが親分肌の人物として出ている。
長年にわたり自分の楽団を統率したことからも判るように面倒見がよく、麻薬も一切やらない。
パーカーの才能も認めてくれていた。
パーカーが自分のコンボを率いて公演巡業に出かける場面があった。
しかし公演先は南部。皆が、黒人は歓迎されないぞと忠告する。
実際に出かけてみると、あてがわれるホテルは場末のおんぼろなところだったりしていた。
パーカーの時代には、いくらジャズの世界で名をはせていても、これだけの人種差別が堂々とおこなわれていたのだなと、あらためて思う。
有り体に言ってしまえば、パーカーの人生は、麻薬、酒、女と、善良な人間の見本になるようなところは一つもない。
彼から音楽をとったら何も残らない。
ジャズに関してだけ天才であり、他はすべてが偏った欠落人間である。
自らを追い込まなければsomething newが作れなかったのか、それとも、天からやって来るsomething newが彼をそんな人生に追いやったのか。
凡人には到達できない地点があったのだろうと思える。
心臓麻痺で34歳でパーカーは亡くなる。
しかし彼を看取った医者が65歳の肉体だといったのが印象的だった。
短い一生を常人の2倍の早さで生き急いで、そして逝ったのだろう。
ジャズを聴く人だったら観ておく価値が充分にある映画と言える。