1989年 アメリカ 100分
監督:スティーブン・ソダーバーグ
出演:アンディ・マクダウェル、 ジェームズ・スペイダー
心理ドラマ。 ★★★
様々なジャンルの映画を撮るソダーバーグ監督の第1作である。
登場人物は4人だけ。
精神的に不安定となっているアン(アンディ・マクダウェル)。
不倫をしているアンの夫のジョンと、アンの妹のシンシア。
そしてジョンの旧い友人で、かっての恋のトラブルから性的不能となっているグレアム.
描かれる場所も3軒の家の中とオフィス1カ所だけ。
舞台をこれだけに限定して、濃密に(ねちねちと)人間の心の奥に蠢いている欲望や不満、そして心が希求するものを描いている。
アメリカ南部の町に暮らすジョンとアンの夫婦は、社会的にも経済的にも安定した夫婦。
しかしその夫婦生活は破綻していて、その二人の間にグレアムが闖入してくる。
彼が現れたことによってアンは新しい自分に気づいていく、というのが大まかなあらすじ。
不倫、そして性的不能、これらがセックスとは人間関係にどのような意味を持っているのか、と問いかけてきている。
セックスをすること、そして嘘をつくことが人の根源的な行動であることは確かだろう。
それでは、人はセックスとどのように向き合い、嘘をどのようについていくのか。
グレアムは様々な人のセックスについての告白をビデオカメラで記録していた。
アンもカメラの前で自分の性的衝動などについて語りはじめる。
アンとグレアムは、次第にプラトニックに惹かれ合うようになっていく。
それと対照的に、セックスで結びついているのがジョンとシンシア。
そのセックスも、気持ちが伴わない肉体的なものだけで即物的なものであり、やがて破綻していくことになる。
しかし、このあたりは男と女では微妙に価値観がずれるのかもしれない。
一方の嘘はどうか。
他人に対してつく嘘は当然あるわけだが、それよりも根が深いのは自分自身に対してついている嘘だろう。
本心を隠して自分についていた嘘に、どうやったら気づくことが出来る?
タイトルからは扇情的な内容とも誤解されてしまいそうだが、物語は淡々とすすむ。
ビデオテープに撮られる側と撮る側が逆転したり、また、セックスは挿入を伴う行為だけではないことを示唆したりと、内容にも深みがあった。
とても理知的な内容となっていて、映画もとても観やすいものになっていた。
ソダーバーグは、若干26歳のこの処女作でなんとカンヌ映画祭のパルムドール賞を獲っている。
すごいな。