あきりんの映画生活

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「インド夜想曲」 (1988年)

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1988年 フランス 110分
監督:アラン・コルノー
出演:ジャン・ユーグ・アングラード

インドで人を訪ね歩くロード・ムービー。 ★★★★

今年の2月に8日間ほどインドへ行ってきた。聞きしにまさる混沌の国だった。
この映画は20数年前のもので、旅で訪れたニュー・デリーやコルカタとはまったく異なる都市が映画の舞台となっている。
それでも混沌としたインドに通じる雰囲気があった。

主人公ロシニョルはインドで消息をたった友人グザヴィエを探しにボンベイにやってくる。
グザヴィエが会っていた娼婦からの手紙を足がかりにして、彼の足跡を辿る。
ボンベイからマドラス、ゴアとインドを巡る主人公は、様々な人々と出会い、様々なことを語る。

原作はアントニオ・タブッキ
小説はかなり哲学的な雰囲気が強かったので、あれをどのように表現するのかと思っていたのだが、謎めいた登場人物との謎めいた会話などで、上手く映像化していたと思う。
光りの乏しい暗い夜の場面が多く、”夜想曲”というタイトルにもよく映像が合っていた。

主人公は友人の足どりを追う。
スラム街に建つ安ホテルの夜、そこへやってくる友人が会っていたという娼婦。
彼女が話してくれた饐えた匂いがするような粗末な設備の病院。
そこで簡易ベッドに横たわっている大勢の病人たち、積み上げられて変色したカルテの山を背にした医師。
友人にきていた手紙の差出人だったというある特別な宗派の教会の牧師、などなど。

旅の途中で出会った異形の女占い師に、主人公は自分のことを占ってもらう。
すると、女占い師は、友人を探しているロシニョル自体が存在していないので何も見えない、占うことが出来ない、と言う。
思わず背筋が寒くなるような、不気味な占託である(この女占い師そのものも不気味なのだが)。

海岸で出会った少女には、主人公は夜啼く鳥(ナイチンゲール)さんとよばれるのだが、それは友人が手紙の中で使っていた言葉であったりする。
物語はいたるところで奇妙な符丁を置きながら進んでいく。
それらがインドという神秘的なイメージを持つ舞台に溶けこんでいる。

(以下、ネタバレ(?)です)

終盤、ゴアの夜のレストランで知り合った女性に、主人公は意外な話を始める。
私の友人が僅かな手掛かりを頼りに私を捜しているが、彼は私を見つけられないのだ、と。
そして、今夜と同じように食事をしていた自分を見ている男がいて、その男と一緒に食事をしていたのは貴女だった、とも。
食事を終え代金を払おうとすると、すでに誰かが支払ってくれていた。いったい、誰が? 何故?

ここにいたって、主人公が探していたのは、じつは失踪した自分自身だったことに、主人公も気づくのである。

すると、この旅はなんだったのだろうか。
もう一歩進めれば、主人公はすでに亡くなっているのではないか、とすら思えてくる。
死者が在りし日の自分を求めて彷徨っているようにも思えてくるのだ。

ちょっと他には似た映画を思いだせないほどに独特の雰囲気を持った作品。
タルコフスキーとかアンゲロブロスあたりが好きな方なら、気に入ると思えます。