あきりんの映画生活

映画鑑賞だけのブログです。★★★★が満点評価ですが、ときに思い入れ加算があります。約2000本の映画について載せていますので、お目当ての作品を検索で探してください。監督名、主演俳優名でも検索できます。

「罪の声」 (2020年)

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2020年 日本 142分
監督:土井裕泰
出演:小栗旬、 星野源、 松重豊

35年後の事件の解明。 ★★★☆

 

昭和の未解決事件として大方の人が記憶しているグリコ森永事件。
社長を誘拐したり、店頭のお菓子に毒を入れるぞと脅迫したりして、子どもの声の電話で身代金受け渡しの指示を出したりした。、
当時、キツネ眼の男の似顔絵は日本中に公開されて、誰もが知っていた。
それなのに事件は迷宮入りした。
この映画はその事件を題材にして、その35年後を描いている。

 

新聞記者の阿久津(小栗旬)は35年前の“ギンガ・萬堂事件”について、もう一度取材するように指示される。
なんで、今さらこんな事件を掘り返すんですか。
何も新しいことは出てきませんよ。ぶつぶつ・・・。

 

その頃、京都でテーラーを営む曽根(星野源)は、父の遺品の中から古いカセットテープを発見する。
そこに録音されていたのは、あの“ギン萬事件”で使われた脅迫テープの声だった。
これは自分の声じゃないか! どうして自分の声があの犯罪に使われたのだ?

 

曽根もあの事件について、そして自分と同じように声を使われた子ども2人について、調べ始める。
声を使われた他の2人の子どもは姉弟だった。
彼らのその後を知った曽根は、その悲惨な生い立ちに愕然とする。

 

彼ら姉弟は事件の直後から犯行に自分たちの声が使われたことを知らされていた。
そして、警察の追及から逃れるために母親と共に犯人達に軟禁され続けていたのだ。
事件のことを今まで知らなかった自分はこんなにおだやかな人生を送ってきたのに、と曽根は言葉を失う。

 

確かに、同じように”罪の声”に利用された子どもたちだったのに、その後の人生は大きく違っていた。
この映画はこれからも判るように、事件の犯人捜しがメインのサスペンス映画ではない。
事件に関係した人々のその後を描いた人生ドラマだった。

 

小栗旬もそれなりに頑張っていたが、今作で一番輝いていたのは星野源だった。
なんとも言えない等身大の味がある。
TVドラマを観ないので今まで知らなかったが、星野源てこんなに好い俳優だったのか。

 

(以下、ネタバレ)

 

やがてめぐり会った曽根と阿久津は、協力して事件の真相に迫ろうとする。
曽根の声をテープに取ったのは、実は母(梶芽衣子)だった。
母さんはどうして自分の子どもに事件に荷担させるような真似をしたんだ・・・?

 

事件の主犯格の犯人も最後に明らかにされる。
そして犯人のギン萬事件の本当の狙いも。
時効も過ぎてしまっているこの事件の解明は、関係した人々に何をもたらしたのだろうか?
見応えのある映画だった。

 

「望み」 (2020年)

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2020年 日本 108分
監督:堤幸彦
出演:堤真一、 石田ゆり子

殺人事件に関与する家族の苦悩。 ★★★☆

 

これは観ている間中、こちらも息苦しくなってくるような作品だった。
もし、こんなことが我が家で起こったら、自分はどちらを望むのだろう?
雫井脩介の原作も評判となっていたが、未読のままで映画を鑑賞。

 

石川一登(堤真一)と貴代美(石田ゆり子)夫婦は、高校生の息子・規士、中学生の娘・雅と優雅な生活をしていた。
しかし、規士は怪我でサッカー部を辞めて以来、悪い遊び仲間が増え、無断外泊もするようになった。
そんな日に、無断外泊していた規士と連絡がとれなくなってしまう。
やがて、規士の同級生が殺されたというニュースが流れる。

 

この映画の要は、自分たちの息子がどのように殺人事件に関わっているのか、という家族の葛藤、苦しみである。
逃亡している殺人犯は2名。
しかしそのほかにもう一人、行方不明になっている仲間がおり、やはり殺されている可能性があると警察がつきとめる。
その3人の中の一人が規士であるようなのだ。

 

自分たちの息子は、殺人犯なのか?
それとも、自分たちの息子は被害者で殺されてしまっているのか?
いったい、息子がどちらである方が、息子は、そして私たち家族は幸せなのだろうか。
どちらを願ったらいいのだろうか?
これは辛い、辛い二者択一である。

 

母親の貴代美は、たとえ息子が犯人であっても生きていてほしい、と祈る。
しかし、それはこれからの息子の一生が罪を背負うものになるだけではなく、家族の一生も世間に責められるものになる可能性がある。

 

規士が犯人の一人だと決めつけるマスコミは家の前に押しかけ、マイクを突きつけてくる。
家の塀や玄関扉には、殺人者、ここから出て行け、などと大きく落書きされる。
一登は建築士だったのだが、事件を知った顧客も仕事をキャンセルしてくる。
もし、規士が犯人だったら、息子が生きている代わりにこんな生活がこれからずっと続くわけだ。

 

父親の一登は、被害者であっても無実でいてほしい、と願う。
息子が殺人者などであるはずがないと、息子を信じようとする。
それが家族にとっても幸せなことだと考える。
でも、それは息子が死んでいることを願うことにもなる。
辛い望みである。

 

映画を観ながら、もし自分が一登や貴代美と同じ状況に置かれたら、いったい自分はどう考えるろうか、どちらを望むだろうか、と考えてしまった。

 

父と母は、食い違う自分たちの望みで激しく言い争いをする。
自分の子どもの死を願うなんて、考えることも出来ないっ!
自分の息子が悪人ではないことを信じてやれないのかっ!
どちらもよく判る。どちらも正しい。
でも、どちらか片方しかあり得ないのだ。

 

マスコミや、周りの人々の勝手な思い込みによる正義感もとても怖い。
今の我が国社会での人間関係のぎすぎす感がもろにあらわれている。
なにかがあれば、人々は無名・大多数に与して勝手な満足感を得ようとしているようだ。

 

やがて事件は結末を迎える。
はたして、父母の望みはどうなったのか。
自分たちがこうであって欲しいと望んでいたことは、心の奥底にあった望みと一緒だったのか。

 

堤真一石田ゆり子の演技も自然体で、事件に向き合う家族の苦悩をよく伝えていた。
見応えのある作品だった。

 

「Mr.&Ms.スティーラー」 (2019年)

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2019年 アメリカ 100分
監督:マット・アセルトン
出演:テオ・ジェームズ、 エミリー・ラタコウスキー

美術泥棒もの。 ★★

 

”Mr.&Ms.”と付く邦題が結構多いのは、やはりブラピとアンジーの映画がヒットしたせいなのだろうなあ。
しかし、往々にして柳の下のどじょうを狙ったものは外れていることが多い。
この映画も期待は大きく裏切られた(涙)。

 

アイヴァン(テオ・ジェームズ)は凄腕の美術品泥棒。
借りのあるボスからの依頼仕事をこなしてきたが、もう足を洗いたいぞ。
次の仕事が最後だ。

 

ということで、下調べに出かけたある家のパーティでエリス(エミリー・ラタコウスキー)と出会う。
エリスも多額の借金を抱えていて、やむを得ず詐欺師として生活していたのだ。
よし、二人で協力して大仕事をやろうぜ。

 

どこかで観たような設定、男女のコンビ具合。
二人でごちゃごちゃと騒ぎまわりますが、見終わってしばらくすると内容をすっかり忘れてしまいそう。

 

ということで、何があったのだっけ?
盗みの場面はあるのだが、どれも鮮やかすぎて(簡単に事が運びすぎて)、緊張感はほとんどなし。
厄介者の兄貴が始めのあたりに出てきていて、なんだ、こいつは?と思っていたら、最終場面ではかなり活躍していた。
面倒見の良さそうだったボスも結局は・・・という展開も、もう使い古されてような。

 

その程度の映画ですが、まあ、見ている間は退屈はしません。
時間が余って何もすることがないときにどうぞ。

 

「アフター・ライフ」 (2009年)

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2009年 アメリカ 104分
監督:A.V.ボスルー
出演:クリスティナ・リッチ、 リーアム・ニーソン

生きている?死んでいる? ★★★

 

恋人との別れ話で自棄になったアンナ(クリスティナ・リッチ)は無謀運転で交通事故に遭ってしまう。
彼女が目覚めると、そこは葬儀屋の冷たい寝台の上だった。
葬儀屋(リーアム・ニーソン)は、あなたはもう死んだのだ、と告げる。
そんな馬鹿な。私はこうやって生きているじゃないの! 死んだなんて信じられないわ。

 

出だしからいきなり、ヒロインは死者であるとを告げられる。
それも普通の人間のように見える葬儀屋のおじさんから・・・。
このおじさんは死者が見えるのか? 死者と話ができるのか?
まさか超常現象を扱った映画ではあるまいな、と思いながら観ていた。

 

この映画の面白さは、観ている者も、はたしてアンナは死んでいるのだろうか、それとも本当はまだ生きているのだろうか、と訝しく思うところ。
麻酔もなしに顔の傷を縫合するなんて、生きていれば痛くてできないはず。やっぱり死んでいる?

しかし、アンナも気づいたように吐く息で鏡は曇っていた。すると生きている?

 

クリスティナ・リッチの真っ赤なシュミーズ姿が大変に栄えている。印象的。
お前はもう死んでいるんだから、と、葬儀屋はそのシュミーズもじょきじょき切り裂いてしまう。おいおい。

 

それにしても、あの少年は何者だったのだろうか。
いつもテレビを観ている揺り椅子に座った少年のお母さんも死者のようだった。
すると、あの「シックス・センス」の少年コールのように死者が見える少年だった?

 

(以下、ネタバレ)

 

何が本当なのだろうとやきもきさせたのだが、結局、リーアム・二ーソンはこんな役だったのか。
生きる意義を失った人を殺してあげるって・・・!
それも事故を誘発して仮死状態にして葬儀をおこない生き埋めにしてしまうって・・・!
ユダヤ人を助ける崇高な人物で、やがてはジェダイの騎士で、それから家族のために戦うキレた最強のパパだったニーソンが、ついにはサイコパスだったのかい(笑)。

 

やきもきさせながら、どうも最後まですっきりしないままに映画は終わっていく。
まあ、そういう感じを狙った映画で、試みとしては面白いものだった。

 

「360」 (2011年)

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2011年 イギリス 110分
監督:フェルナンド・メイレレス
出演:アンソニー・ホプキンス、 ジュード・ロウ、 レイチェル・ワイズ

13人の群像劇。 ★★★

 

ウイーンやパリ、ロンドン、そしてアメリカの都市を舞台にした13人の群像劇。
場所もばらばらなら境遇もばらばらの13人なのだが、全員がどこかで誰かとつながっているというところがミソ。
監督は「シティ・オブ・ゴッド」や「ナイロビの蜂」のフェルナンド・メイレレス

 

行方不明の娘の安否を確かめるために飛行機でアメリカに向かうジョン(アンソニー・ホプキンス)。
ジョンは隣の席にいたローラと言葉を交わし、雪のせいで足止めを食った飛行場でも親しく時を過ごす。
ローラはは恋人に別れを告げてブラジルに帰る途中だった。

 

ローラが付き合っていた写真家のロイには、情事相手のローズ(レイチェル・ワイズ)がいたのだ。
ローズは夫のマイケル(ジュード・ロウ)とは冷えた関係になっている。
この映画でのレイチェル・ワイズはきれいだった。これまで観た映画の中では一番きれいだったのではないだろうか。

 

さて、そのマイケルが出張先で買おうとした娼婦がブランカ
ブランカの妹のアンナは、マフィアのボスの運転手をしているセルゲイと出会い、セルゲイの妻は新しい恋に踏み出そうとしていて・・・。

 

と、人の連鎖が続いていく。
人妻との愛を選ぶべきか、それを禁じているイスラムの教えに従うべきか悩む歯科医師が出てきたりもする。

 

かなりの有名俳優が出ているのだが、その割には見応え度としてはもうひとつだった。
見終えた後の満足度ももうひとつ。
それというのも、内容がかなり汚れたものが多かったせい。
(ちなみに我が国では劇場未公開だった)

 

たとえば、群像劇の代表作といえば、誰もが認めるであろう「ラブ・アクチュアリー」。
あちらは気持ちがきれいに洗われるような恋と愛で人々が結びついていった。
しかし、こちらは言ってみればセックスとお金で人々が結びついている。
ま、監督があの「シティ・オブ・ゴッド」を撮った人だから、きれいごとではすまさなかったのだろう。

 

物語はとんとんと展開し、飽きることはありません。
群像劇が好きな人だったら観ておいいてもいいでしょう。
じっくりとした物語が好きな人には向いていないかな・・・?

 

「街の恋」 (1953年)

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1953年 イタリア 103分
(オムニバス)

実験的な内容のオムニバス。 ★★☆

 

戦後すぐのイタリアでは”ネオリアリズモ”という芸術運動があったらしい。
映画と文学がその運動の中心だったらしい。
その精神で作られた6編からなるオムニバス映画。

 

この映画のプロデューサーの言葉は次のようなもの。
「我々が求めていたのは身近にある現実のみ、かつて無い映画表現を徹底的に追及したのだ」
ということで、ドキュメンタリーあり、独白ものあり、と、物語性を排したところで作られている。
ミケランジェロ・アントニオーニフェデリコ・フェリーニという二大巨匠の未公開作品が入っているということでも有名。

 

1.「支払われた愛」監督カルロ・リッツァーニ
実際の娼婦へのインタビューから成り立っている。
なぜ、彼女らは街の夜に立つのか、という生の声が聞こえてくる。

 

2.「自殺の試み」監督ミケンランジェロ・アントニオーニ。
こちらは実際に自殺を試みた女性へのインタビュー。
生々しい感情の吐露があるのだが、カメラは冷ややかにそれを記録している。

 

3.「三時間のパラダイス」監督ディーノ・リージ
50年代の男女の社交場はダンスホールだったようだ。
音楽に合わせて踊りまくる男女がいて、その喧噪のなかでの恋の駆け引きが繰り広げられる。

 

4.「結婚紹介所」監督フェデリコ・フェリーニ
ローマの結婚紹介所を訪れて、その実体を探ってみた、という内容。
これは完全なフィクションもので、フェリーニらしい皮肉さも入っている。傍目にはちょっと滑稽に見えてしまうところは、結婚相談所が持っている宿命か。

 

5.「実録カテリーナ物語」監督フランチェスコ・マセッリ。
男に捨てられ、貧窮している若い母親を描いたシリアスな実話もの。

 

6.「イタリア人は振り返る」監督アルベルトラットゥアーダ
最後は、街のきれいな女性を盗み撮りっぽくして集めたもの。
そこに効果音をつけて、女性を振り返って観てしまう男たちをとらえる。
まあ、たわいもないと言ってしまえばそれまでだが、実は一番楽しめた(苦笑)。

 

「グエムル 漢江の怪物」 (2006年)

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2006年 韓国 120分
監督:ポン・ジュノ
出演:ソン・ガンホ、 ペ・ドゥナ

娘を怪物から助けるぞ。 ★★☆

 

今は売れっ子となったポン・ジュノ監督作。
それに以前からこの作品自体の評価も高かった様子。
ということで、かなり期待して観たのだが、・・・あれ、こんなもの?

 

冒頭で米軍の研究者が大量のホルムアルデヒドを漢江に流していた。
そのために突然変異した怪物が漢江からあらわれる、というのが物語の設定。
平和だった日常が一変して、恐怖に逃げまどうことになるのだ。

 

漢江はソウルの中心を流れる大河。
その河川敷で売店を営んでいたの主人公たちのパク一家。
観光客がのんびりと楽しんでいる河川敷に、突然、正体不明の生き物が出現し、素早く動き回り人々を次々と食い殺し始める。
なんだ、あれは? とにかく逃げろっ!

 

実は”漢江の怪物”というタイトルから、勝手にゴジラのような巨大怪獣を想像していた。
違った。怪物は2メートルぐらいだろうか、それほど大きくはなかった。
トカゲのような長い尾を持つ両生類のようだった。

 

その怪物は、パク一家の娘ヒョンソを襲い、どこかへ連れ去ってしまう。
政府は、怪物が未知のウィルスの宿主であり、感染者を死に至らしめるとして、人々を強制的に隔離する。
おい、こうなれば俺たち家族でヒョンソを捜して助け出すぞ。

 

ジュノ監督の「パラサイト」でも大きなテーマは”家族”だったが、この映画でも究極の状態での家族の姿を描いている。
父親は奥さんに逃げられ、兄は大学を出ながらニート状態、妹はアーチェリーの名手だが優柔不断。
そんなダメ家族が団結して怪物に攫われたヒョンソを助け出そうとする。

 

怪物が未知の怖ろしいウィルスの媒介者だったという政府のウィルス騒ぎは誤りだったという皮肉も効かせている。
今のコロナ禍で観ると、身につまされるところも・・・。
ちなみにこの映画は、あのSARS流行のあとに作られている。

 

怪物の描写は、うへえ~というほど気色悪いもの。
ま、両棲類風の生き物はあの皮膚の感触が気持ち悪い(私だけ?)。
そんな怪物に立ち向かって、ダメダメ家族は必死に頑張る。
主人公たちはあのガスを浴びても大丈夫だったのか?

 

(以下、完全ネタバレ)

 

最後までヒョンソは息を吹き返して目を開けるものだとばかり思っていたのになあ。
それと、ひょっとして、また漢江から新たな怪物が這い出してくるのでは?とも思っていたのだが、それはなかった。

 

それにしても、最後になるまで怪物はヒョンソをなぜ殺さなかったのだろうか。
もしかして、ペット感覚で飼っていた?
あれよあれよと退屈することなく見終わったが、世評ほどの作品とまでは思えなかったなあ。