あきりんの映画生活

映画鑑賞だけのブログです。★★★★が満点評価ですが、ときに思い入れ加算があります。約2000本の映画について載せていますので、お目当ての作品を検索で探してください。監督名、主演俳優名でも検索できます。

「追龍」 (2017年)

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2017年 香港 128分
監督:バリー・ウォン
出演:ドニー・イェン、 アンディ・ラウ

悪同士の友情。 ★★☆

 

1960年代の香港は英国が占領しており、理不尽な圧政をしていたようだ。
そういう時代には暗黒裏社会がはびこる。
この映画は、そんな社会情勢下での麻薬密売組織のボスと悪徳警察という悪人同士の友情物語。
・・・て、どんな友情なんだ?

 

中国本土から香港にやって来た不法移民のサイホウ(ドニー・イェン)。
マフィア同士の暴動で警察に連行されたサイホウは、英国人の警司によって暴行を受ける。
この頃は、英国人は今では考えられないような特権階級で、中国人が刃向かうことは許されていなかったのだ。
そんな彼を香港警察のロック(アンディ・ラウ)が助けてくれる。

 

その後、サイホウは3人の弟分と一緒に裏社会で次第に頭角を現していく。
そしてある時、窮地に陥っていたロックを恩返しにと助ける。
互いに恩義を感じた2人は本格的に手を組む。
なにせ、裏社会でかせぐ大金と、そうした裏社会を取り締まる警察が手を組んでいるのだから、金は入るわ、権力は握るわ。
サイホウは麻薬王へ、ロックは警察上層部へと、それぞれのし上がっていく。

 

この2人には実在のモデルがいたとのこと。
汚職がはこびっていた香港社会のなかで、実際にこんな悪のコンビがのさばっていたのだな。
でも、もちろん映画はこの二人が主役なので彼らに思い入れができるように作られている。
サイホウの家族愛とか、ロックの英国権力への反抗精神とか。

 

ダブル主役なのだが、中心となっていたのはサイホウ役のドニー・イェンの方だった。
常にぎりぎりのところで必死に生き延びようとしている。
それに引き替え、ロック役のアンディ・ラウの方は、どちらかといえば常に安全な位置に自分を置いて甘い汁を吸っている感じだった。
(アンディ・ファンの方、ごめんなさい)

 

銃撃戦や(ドニー・イェンだからもちろん)カンフー・アクションもふんだんに取り入れられている。
映画の雰囲気としては、「男たちの挽歌」シリーズの悪人版といった感じ。

 

英国官憲に理不尽に殺された弟の敵をとろうと、ついにサイホウは苦楽を共にしてきた3人の仲間と一緒に、九龍へ乗りこむ。
ロックの、俺を殺してもいいがイギリス人の警官だけは殺すな、という教えをついに破るのだ。
このあたり、かっての高倉健任侠映画でみられたような、我慢に我慢を重ねてきてついに怒りが爆発する、といった雰囲気だった。

 

1973年に香港では一大改革がおこなわれ、はびこっていた悪習慣が一掃されることとなる。
ロックも地位を失い罪に問われそうになり、アメリカへ亡命しようとする。
しかし、・・・なにっ、サイホウが九龍に殴り込んだ?
彼はアメリカ行きの船に乗り込む寸前で身を翻して九龍へ向かう。

 

さて、この殴り込みはどうなる?
ここからがクライマックスとなり、多勢に無勢の戦いが続く。
香港ノワールものの真骨頂となっていく。

 

(以下、映画の結末へ)

 

騒動が鎮圧されて、逮捕されたサイホウは30年の実刑となる。
一方のロックはまんまとアメリカへの亡命を果たして、余生を送ったよう。
う~ん、一途なサイホウに比べて、結局は計算高いロックの方はなんだか狡い奴というイメージになってしまうなあ(苦笑)。

 

実在人物の一生を追っているので、やや物語の展開に性急なところもあります。
しかし主演2人の香港ノワールものとして充分に楽しむことができます。

 

「黒衣の刺客」 (2015年)

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2015年 台湾 108分
監督:ホウ・シャオシェン
出演:スー・チー、 チャン・チェン、 妻夫木聡

静かな女武侠もの。 ★★★☆

 

ホウ・シャオシェン監督の武侠映画である。
シャオシェン監督と言えば「悲情城市」「珈琲時光」といった作品である。静か動か、どちらだと言えば明らかに静の監督である。
さて、どんな武侠ものになっているのだ?

 

唐代の中国。女導師によって暗殺者として育てられた隠娘(スー・チー)が主人公。
13年後に親の元に返されるのだが、君主の田季安(チャン・チェン)を暗殺するという指令を受けていた。
その田季安は、隠娘のかっての許嫁だったのだ。
さあ、隠娘は田季安を殺すことが出来るのか・・・。

 

監督たるもの、一度は武侠ものを撮りたいと思うのだろうか。
有名どころの武侠ものとしては、チャン・イーモウ監督の「HERO」「LOVERS」ウォン・カーウァイ監督の「楽園の瑕」や「グランド・マスター」、そしてアン・リー監督の「グリーン・デスティニー」などが思い浮かぶ。
どれもスタイリッシュで迫力のあるな武闘場面があり、アクション映画としても面白いものだった。

 

しかし、ホウ・シャオシェンは監督は、武侠ものを撮ってもシャオシェン監督だった。
アクション映画にはなっていなかった。
物語性も次に置いておいて、なによりも映像作家という感じであった。

 

物語の説明は極端に少ない。そのうえ、台詞もほとんどない。
はて、この人物はいったいどういう人なのだ? はて、この場面はいったいどういうことになっているのだ?
かなり判りづらい。

 

陰娘は弧を描いた短刀を逆手に持つ。そして相手の懐に飛び込んで切り裂く。
相手の長剣をかわすときの立ち回りや、鋭い音ともに飛んできて刺さる矢など、アクション場面も美しい。
そしてアクション場面なのに静かなのである。監督のこだわりか。

 

どうやら、田季安の母である嘉誠公主と、陰娘の師である女道士は双子の姉妹だったようなのだ。
そして嘉誠公主が田季安と陰娘を結婚させようとして二人に一対の玉をひとつづつ与えていたのだ。
この玉も意味ありげに出てきていたので、なんだろう?と思っていたのだった。

 

という具合に物語を追うことはかなり難しい。
監督は、この描き方で観ている人は物語が判ると思っていたのだろうか?
しかし、この映画の値打ちは、そんな物語の説明を犠牲にしてでも描きたかった美しい静寂の画面である。
その画面にとっては台詞は邪魔だったのだろう。

 

武侠ものを題材にして、生死のやりとりの緊張感を静かに描く、そんな狙いだったのだろうか。
静寂のアクションもの、という映像美を楽しみましょう。

カンヌ映画祭で監督賞を取っています。

 

「すばらしき世界」 (2020年)

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2020年 日本 126分
監督:西川美和
出演:役所広司、 仲野太賀

社会派人間ドラマ。 ★★★☆

 

佐木隆三の実録小説を西川美和監督自身が脚本にしている。
これまではオリジナルな物語を映像にしてきた西川監督にとっては、初めての原作もの。

 

主人公は13年の刑期を終え、旭川刑務所から出所してきた元殺人犯の三上(役所広司)。
三上は「今度こそカタギぞ」と自分自身に言いきかせている。
刺青も入れていて何度も刑務所に入っている彼だが、根っからの悪ではないのである。
ただただ生き方が真っ直ぐすぎて不器用なのである。

 

今回の殺人も、元は元妻を理不尽な暴力から守ろうとして起こしたこと。彼なりの正義感から生じたことなのだ。
ただ、彼はすぐにカッとなってしまう。
筋が通らないことに怒りが生じると、その暴力性に抑えが効かなくなるのである。
ああ、またやってしまった・・・ということになる人生を歩んできたのだ。

 

人懐っこい面があり、一本気な正義感があり、そして怒りを抑えられない短気な人物、そんな三上を役所広司が実に上手く演じている。
その真っ直ぐで裏表のない人柄が生むユーモア感も自然に出ていた。

 

映画は、そんな三上が前科者に対する偏見の社会で何とかまっとうに生きていこうとする様子を描いていく。
不器用な彼を支援しようとする人たちもいる。
身元引受人となってくれた弁護士夫婦、彼を万引き犯と間違えたことから知り合っていくスーパーの店長、始めは冷たくあしらっていた役所の生活支援窓口の係員、番組のネタにしようと取材を始めたTVディレクターの青年・・・。
みんな彼の危なっかしい生き方を支えようとしてくれる。温かい人たち。

 

タイトルの「すばらしき世界」を、前科者が生きにくい社会を皮肉っていると取ることもできる。
しかし、逆に、三上を支えてくれた人たちの温かみを指しているととることもできる。
「すばらしき」には、その両方の意味が含まれているのだろう。

 

確かに傑作である。
浮ついたところのないしっかりとした内容を、きっちりと描ききっていた。
原作ものであることも影響しているのかもしれない。

 

しかし、その分だけ西川監督本来の自由に人物造型をおこなうという点は制約を受けていたように思える。
蛇イチゴ」「ゆれる」のような捉えどころのない人の心の綾を描いているわけではなかった。
そのあたりが、初期の西川作品のファンとしてはやや物足りなかった。
でも、これだけの映画を見せられては、それは無いものねだりというものだろう。

 

「花束みたいな恋をした」 (2020年)

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2020年 日本 124分
監督:土井裕泰
出演:菅田将暉、 有村架純

王道のラブ・ストーリー。 ★★☆

 

終電を逃した大学生の麦(菅田将暉)と絹(有村架純)は偶然に出会う。
この映画は、そこで趣味が似ていたりしてすぐに恋に落ちた二人の5年間を描いている。
恋の始まりから、甘酸っぱい別れまでの5年間である。

 

二人は実に生き生きと描かれている。
最近読んだ小説の話で盛り上がったり、好きな曲が一緒だったり。
もう好きになり始めたら、どんなことでも二人の仲を近づけてしまうのだ。
そんな浮き立つような恋の始まりの日々は、端から見ていても微笑ましくなるぐらい。

 

やがて学生生活を終えた二人はフリーターをしながら同棲を始める。
お気に入りのパン屋を見つけ、拾った猫に名前を付ける。
2人で一緒に楽しい日々を送り、そんな生活を守っていきたいと就職活動にも励む2人だったが…。

 

二人の近付き方、そして同棲生活などの雰囲気は、あの往年の名TVドラマ「東京ラブストーリー」に似ているな、好い感じだな、と思いながら観ていた。
後で脚本が同じ坂元裕二だと知った。
やはりその人らしさというのは出るものなのだなあ。

 

学生時代とは違った生活の問題が二人の間に齟齬を生み出し始める。
学生時代とは違って、社会人になってからの男と女では夢の見方も違ってくるのだ。
相手を決して嫌いになったわけではないのに、それでも上手くいかなくなってくる。

 

こうなると辛いよなあ。
二人の仲をなんとか保ちたいと、麦は結婚しようと申し出る。
結婚生活は、やはり同棲生活とは違った意識が必要になるのだろう。互いに相手への責任意識が変化するのだろう。
でも、それは大きく失うものがあることを意味している。その失うものを許容してまで結婚する?

 

友達の結婚式の帰りに二人は別れを決意する。
ファミレスでの二人が、互いに相手のその思いが判っているところが切ない。
演出として、その店に出会ったばかりの二人に似たカップルが登場する。
あざといなあと思いながらも、かっての初々しくこれから始まる恋の予感にいっぱいの二人の様子は、今との隔たりを見せつけて魅せてくれた。

 

「花束みたいな」とはどういうことだったのだろうと思ってしまう。
きれいに切りそろえられた花束の花は、ひととき美しく咲いているが、やがては枯れていく運命にある。
そういう運命の恋だったということか。

 

東京ラブストーリー」の最終回、カンチと赤名リカの別れはもう号泣ものだった。
今作も、もしあのときくらいの年齢で観ていれば、ラスト場面あたりは号泣していたのではないだろうか。
それほどに上手く作られていた。
ただ惜しむらくは、若者のラブ・ストーリーに強く心を揺さぶられるのには私が年をとりすぎてしまっていた。
悲しいことだが、仕方がない。

 

主役の二人はとても等身大の感じで演じていた。
最後、別れた後の二人がそれぞれの恋人とともに出会うのも好かった。
振り返りもせずに軽く手を上げて離れていく二人も爽やかだった。
東京ラブストーリー」の後日談で、赤名リカが結婚したカンチと里美ちゃんに雑踏の中で出会う場面を思い出してしまった。

 

「グリンゴ」 (2018年)

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2018年 アメリカ 111分
監督:ナッシュ・エドガートン
出演:デビッド・オイエロウォ、 シャーリーズ・セロン、 アマンダ・セイフライド、 ジョエル・エドガートン、 タンディ・ニュートン 

誘拐劇コメディ。 ★★☆

 

おや、シャーリーズ・セロンではないか、アマンダ・セイフライドではないか。
おまけにタンディ・ニュートン(ほら、イーサン・ハントの恋人だった人ですよ)まで出ているぞ。
この顔ぶれだったら観ておこうかな。

 

タイトルのグリンゴとは、メキシコ人がアメリカ人のことを言うことばで、いささか蔑称のニュアンスらしい。
副題は「最強の悪運男」。
これって、運が悪いんだか、悪運が強いんだか、どっちなんだ?

 

とにかく、その悪運の主人公は、友人のリチャード(ジョエル・エドガートン)の会社に拾ってもらったハロルド(デビッド・オイエロウォ)。
製薬会社のメキシコの在庫管理を任されていたのだが、どうも会社が吸収合併されそうだぞ。どうも俺はリストラされそうだぞ。
しかも、その会社はメキシコで医療用と称して麻薬を作り、闇組織にながしている悪徳会社だったのだ。

 

リチャードの共同経営者が、したたか悪女のエレーン(シャーリーズ・セロン)。
会社がどうなろうと、私は生き残るわよ。
乗っ取り会社の経営陣に、色気仕掛けで、ねえ、お酒の後は、わかるでしょ・・・。
おお、セロン姐様、なんというビッチだ。魅力的だなあ。

 

さて、メキシコに行ったハラルド。
偽装誘拐の被害者を演じて、会社から身代金を巻き上げようと画策する。
おどおどとした小心者、正直者のハラルドの、一世一代の大ばくち。
でも、そんなずさんな計画が上手くいくのかい?

 

途中から物語にかんでくるのが、麻薬の運び屋を請け負ったチンピラ兄ちゃんとその彼女サニー(アマンダ・セイフライド)。
またまた途中から絡んでくるのが元傭兵であるリチャードの兄ミッチ。
ハラルドが泊まったメキシコの安ホテルの兄弟経営者も、ドジを繰り返して物語をにぎやかにしてくれる。

 

リチャードは、従業員が死亡した場合は巨額の保険金が会社に入ることに目をつけ、誘拐されたということをいいことに、ハラルドを殺してしまおうと手を回す。
一方でメキシコの裏組織は、麻薬の在庫管理をしているハラルドを捕まえて大量入手を画策する。
もう、大変。

 

盛りだくさんの内容なのだが、全体の印象としては、どうにもしゃきっとしない面も多かった。
同じようなところを行ったり来たりしている感じがする。
物語は暴走列車に乗ったようにどんどん展開していくのだが、その割に爽快感が少なかった。

 

ま、とにかくバタバタとなんやかやがあり(笑)、最後にはハラルドは憧れの生活を手に入れる。
ハラルドを助けてくれたサニーも念願だった自分のお店を始める。可愛い子ちゃんはそうでなくては、ね。
よかったよかった。
そして悪役はみんな酷い目に会う。ざまあみろ。

 

ところが、なんとエレーン(セロン姐様、ね)だけは実にしたたか。
悠然と事態を乗り切って、艶然と微笑んでまたまた悪女王さまなのである。
さすがセロン姐様、彼女には天罰も当たらないのだ。

 

退屈することはありません。
あまり過度に期待せずに、流れに身を任せて楽しみましょう。

 

「ラルジャン」 (1983年)

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1983年 フランス 85分
監督:ロベール・ブレッソン
出演:クリスチャン・パティ、 カロリーヌ・ラング

心の奥の邪悪なものを淡々と描く。 ★★

 

映画表現から余分な飾りを取り去った作品で高い評価を受けているロベール・ブレッソン
文豪トルストイの原作をもとにした本作は彼の遺作である。
どの映画評を見てもとても高い評価を得ている。貶した評を見たことがない。
しかし、私は駄目だった。

 

支払代金として受けとった贋札を(知らずに)使い、そこから人生が狂い始めてしまったイボン。
彼にはまったく悪いところはない。
贋札はお金に困った高校生が作り、それを掴まされた店主がババ抜きのジョーカーを始末するような感じでイボンによこしたのだ。
悪いのはそいつら。

 

ここからイボンの人生は、それこそ坂道を転げ落ちるように悪い方へ、悪い方へ。
仕事を首になった彼は、妻と幼児のために銀行強盗の手伝いをして逮捕される。
3年間の刑務所ぐらしの間に妻は去ってしまい、娘も病死してしまう。
なんということだ・・・。

 

ブレッソンは俳優の人工的な演技を嫌い、大部分の出演者には素人を起用したとのこと。
そして音楽も使わず、感情表現も可能な限り押さえたらしい。
とにかく、意識的に作品を盛り上げずに撮ろうとしている。
もうこれ以上省くものはない、といった静けさで映画を撮りあげている。

 

それを単調と感じてしまうか、そこに抑制された深みを感じるか。
かつて私はこの映画を二度観ることを試みた。
まったく惹かれなかったのだが、あまりに世評が高いので、これは私の鑑賞眼が誤っているのだろうと思って、今回は3回目の観賞・・・。

 

が、やはり駄目であった。
単調な映像、表情の乏しい出演者の演技に、途中で寝てしまいそうになった。

 

出所したイボンは行きずりのホテルで殺人を犯す。
そして親身になって彼に接してくれた老婦人やその家族までも皆殺しにしてしまう。
これらは音楽もない静かな画面で淡々と描かれる。

 

争いとか殺人とかのアクションの場面は映さない。
ただその前後の様子を、たとえば洗い流される血といった写真のように切りとられた場面であらわしている。
こうした静止画のように張りつめた光景で物語をつないでいく。
そこに映画の主題のイメージを合致させてみることができるかどうかなのだろうか。

 

今回もやはり駄目だった。この映画の凄さ、良さを見つけることが出来なかった。
合わない監督って、いるんだよなあ。
カンヌ映画祭で監督賞を受賞しています。

 

「鉄道員」 (1956年)

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1956年 イタリア 115分
監督:ピエトロ・ジェルミ
出演:ピエトロ・ジェルミ、 シルバ・コシナ

市井の一家を描く。 ★★★

 

舞台は第2次世界大戦後のイタリア。
一人の鉄道機関士の家庭に起こる一年間の出来事を描いていく。
同じピエトロ・ジェルミ監督の傑作「刑事」の3年前の作品である。

 

特急の運転に誇りを持っている初老のアンドレア(ピエトロ・ジェルミ)は、頑固者で大の酒好き。
仲間からは慕われているのだが、長女のジュリアと長男のマルチェロからはその頑固ぶりから敬遠されていた。
しかし、まだ幼さの残る末息子のサンドロには誇らしく思われている。
うん、これは嬉しいことだろうな。

 

一家の様子を、彼ら自身に寄りそいながら描いていく。
妊娠していた長女は父親が飲んだくれている間に流産してしまい、長男は父親に反発してぐれていく。
そんな家族を、妻のサーラが献身的に支えている。
う~ん、どこの家族も何かしら大変な問題を抱えているものなのだな。

 

今作も主演はピエトロ・ジェルミ監督自身。
刑事を演じても機関士を演じても、ちゃんとそれになりきっている。上手いものだ。
長女のジュリア役が美しい女優さんだなと思いながら観ていた。
シルバ・コシナだった。
当時23歳の彼女はこの映画で脚光を浴びて、以後はさまざまな映画に出たようだ。

 

市井の人々にも大きなドラマは起こる。
アンドレアの運転する特急が飛び込み自殺を図った青年を轢いてしまったり、会社の労働組合が決行したストを、アンドレアが破ってしまったり。
さらにはジュリアが不倫騒動から離婚したり。

 

こうした物語を幼いサンドロの目線で描いているところが秀逸。
子どもには判らないこととして説明しない部分があることで、観ている者にかえって伝わるものがある。

 

そしてサンドロは何度も大人との約束を破ってしまっては、問題を大きくしてしまう。
他の人には黙っていてね、と頼まれたことを、ついしゃべってしまうのである。
しかし、子どもはしょうがないなあ、子どもだからしょうがないなあ、と思わせる。
この苦笑してしまうような、大人の自分勝手な深刻さと子どもの無邪気な振る舞いのギャップは、ユーモア感も漂わせていた。

 

この映画の有名なテーマ曲も、「死ぬまで愛して」と同様にカルロ・ルスティケッリの作曲。
この曲は幾度となく映画の中で流れる。
昔、映画を観る前から耳にしていたサウンドトラック盤には2つの短い声が入っていた。
あの哀愁を帯びた旋律から、勝手に夜のなにか落ち着いた場面に流れているのだろうと思っていた。
台詞もなにか深刻な、意味深長なものなのだろうと思っていた。

 

映画を観たら、まったく違っていた。
何と、朝の明るい場面だった。
曲の途中に入っていた声は、階段ですれちがった人の「お早う」という挨拶と、走っていく子どもたちの「早く来いよ」という叫び声だった。
なあんだ・・・(苦笑)。

 

「刑事」もそうだったが、この時代のヨーロッパ映画は独特の雰囲気を持っている。
久しぶりに観ると、何かほっとするような気持ちになる。
もちろん、本作は名作です。