あきりんの映画生活

映画鑑賞だけのブログです。★★★★が満点評価ですが、ときに思い入れ加算があります。約2000本の映画について載せていますので、お目当ての作品を検索で探してください。監督名、主演俳優名でも検索できます。

「ブラックパンサー ワカンダ・フォーエバー」 (2022年) 亡きチャドウィックの後を継いで

2022年 アメリカ 161分 
監督:ライアン・クーグラー
出演:レティーシャ・ライト、 テノッチ・ウエルタ、 ルピタ・ニョンゴ

アベンジャーズ・シリーズ終了後のマーベルもの。 ★★★

 

前作の「ブラックパンサー」はアカデミー賞で3部門を獲得した。
しかし、主役だったチャドウィック・ボーズマンは病で亡くなってしまった。
その死を受け止めたうえで作られた作品である。

 

本作の中でもワカンダ国王ティ・チャラは病により命を落としている。
そこでティ・チャラの母が玉座に着き、国を治めていこうとする。
しかし、アメリカをはじめとする列強は、ワカンダのビブラニウム独占は脅威だと非難してくる。
さらに、新たな敵として海の帝国タロカンが迫ってくる。

 

今作の成否は、やはりチャドウィック・ボーズマンを欠いての作品が成り立つか否かにかかっていた。
結論からいえば、それは充分に成功していたと思う。
今作の主役である妹のシュリ、そして前作に続いてワカンダをまもる護衛隊長のオコエ
母王も含めて、女性たちが軸になってきっちりと物語が立っていた。

 

ワカンダに対立する海底帝国のタロカンだが、あれ、どこかで見たような映像だな、ああ、DC陣営の「アクアマン」じゃないか。
ちょっと似すぎていたのではないだろうか(汗)。

 

それにそのタロカンを統治するネイモア。
海底人なのに、なんと空も飛べるのだ。
しかし足パタパタの羽根があまりにも小さい。思わず、これ、わざとふざけたのか、と思ってしまった。
いくらなんでもダサイだろ、これは(汗)。

 

戦闘場面などのアクションは見応えがあった。
そしてタロカン国、そしてネイモア、敵だったのだが彼らも本当の悪ではないところは好かった。
(それにしては母王をはじめとして死者が出てしまっているのだが・・・)

 

ポスター写真を見ても判るとおり、この映画は黒人女性を前面に出したものだった。
これも時代の流れなのだろう。
(まったく関係の無い映画だが、たとえば「風と共に去りぬ」での黒人女性の扱いと比べると、隔世の感がある)

 

このあと、マーベルは新しいフェーズを展開するとのこと。
さあ、どうなっていくのだろうか。 

 

「ブラック・ダリア」 (2006年) 男は美女に振り回される?

2006年 アメリカ 121分 
監督:ブライアン・デ・パルマ
出演:ジョシュ・ハートネット、 アーロン・エッカート、 スカーレット・ヨハンソンヒラリー・スワンク

謎が錯綜するサスペンスもの。 ★★★

 

ジェームズ・エルロイの同名小説の映画化作品。
エルロイのL.A.4部作の第1作目ということで、そのシリーズ原作の「L.A.コンフィデンシャル」のような雰囲気を期待して鑑賞した。
しかし実際のところは、それほどすかっとする物語ではなかった。
多くの登場人物が入り乱れて、かなり注意していないと混乱してくる。

 

1940年代にロサンジェルスで実際に起こった猟奇殺人事件を題材にしている。
(現実のブラックダリア事件は未解決のままだそうだ)
胴体を真っ二つに斬られたエリザベスという女優の卵の死体が発見される。
親友でもあるロサンジェルス市警のバッキー(ジョシュ・ハートネット)とリー(アーロン・エッカート)が捜査に当たる。
捜査によって、その背後にあった大きな陰湿な謎が明かされていく、という筋立て。

 

リーの恋人役ケイにスカーレット・ヨハンソン、そしてエリザベスによく似た女という設定の富豪令嬢マデリン役にヒラリー・スワンク。 
豪華な顔ぶれである。
しかし人間関係はどんどんややこしくなっていく。

 

事件の捜査に深入りしていくリーは次第に常軌を逸しはじめたり、ケイの元ヒモのヤクザが出所してきたり。
そしてマデリンに近づいたバッキーが誘惑に負けてしまったり。
おまけに、謎の殺人者が現れてリーを・・・。

 

この映画の評価は芳しくないようだ。
登場人物が混乱して物語が頭に入らない、とか、サスペンスなのか男女の微妙な恋物語なのか、どっちつかず、とか・・・。
たしかにその意見のどれもがごもっともということになる。

 

スカーレット・ヨハンソンが幸せ薄い女性を演じて、儚げで美しい。
一方のヒラリー・スワンクはふてぶてしさを纏ったような悪女ぶりがたのもしい。
最後の方でキー・パーソンとしてあらわれるマデリンの母親もすごい迫力だった。

 

しかし、最後の事件解決に向かう場面は、ええっ、そんな方向に向かってしまうの、という感じだった。
デ・パルマ監督は(器用に)いろいろな作風で映画を撮る。
好い時はすごく好いのだが、この映画では監督の悪い面があらわれてしまったよう、というのは失礼か。

 

決してつまらないということはないのだが、なんだかなあ、という思いが残ってしまう。
あのあと、バッキーとケイは上手くやって行けたのだろうか?

 

「バーニング・オーシャン」 (2016年) 海上施設は火の海、逃げ場はないぞ

2016年 アメリカ 107分
監督:ピーター・バーグ
出演:マーク・ウォールバーグ、 カート・ラッセル、 ジョン・マルコビッチ、 ケイト・ハドソン

災害パニックもの。 ★★☆

 

冒頭に、事実に基づいた作品、とのテロップが出る。
この映画は、2010年にメキシコ湾沖で発生した海底油田爆発事故を題材にしている。
アメリカ史上最大規模の事故だったとのこと。
日本でも大きく報道されたはずだが、私はあまり覚えていなかった。

 

メキシコ湾沖約80kmの石油掘削施設ディープウォーター・ホライゾン(この名称が映画の原題にもなっている)が舞台。
この施設は海底に固定されているのではなく、巨大な船である。
だから絶えず潮流とかを計算して、施設を一定の位置に留めなくてはならない。
その操縦技師もちゃんといる。

 

冒頭で、これから21日間の勤務に就くマイク(マーク・ウォールバーグ)が、その施設へ仲間と共に大型ヘリコプターで向かう。
なるほど、こうやって沖合の施設に向かうのか。

 

施設では、運営している親会社側の人間(ジョン・マルコビッチ、など)は業務が予定より遅れているとして、安全検査をないがしろにしようとする。
この施設は大丈夫だ、早く作業を進めろ!

 

現場主任のジミー(カート・ラッセル)は、それに抗って必死に施設の安全を確かめようとするのだが・・・。
圧力の計測データがおかしいとジミーが抗議しても、親会社は、測定誤差だろう、問題ない、事故など起こるはずがない、さあ、作業をつづけるんだ。
ジョン・マルコビッチがぎょろっとした目で嫌味ににらみつける。うまいなあ。

 

そうなのだ、経営会社は常に利益第一で、施設の点検補修や危機管理は二の次にしようとする。
今回の大事故の原因も、危機意識の薄さから来ている。
(そういえば、どこかの国でも、安全神話のうえに安閑としていて取り返しの付かない事故を起こしてしまっている。言い訳は、想定外の事故だった・・・。)

 

さて。映画半ばから、あっという間に制御不能な強圧による汚泥の噴出が起きる。
とたちまち海底から逆流してきた天然ガスにも火が回り、施設は大火災になっていく。
必死に逃げ延びようとする人々。

 

大火災、次々に起こる爆発、崩壊していく巨大施設。
CG技術を駆使したであろう映像は迫力満点であった。
マイクも逃げ遅れかけた女性職員を助けながら火の海へダイブする・・・。

 

不幸中の幸い、というか、この事故が起きたときにすぐ近くに大型のタンカーのような汚泥
運搬船(?)が来ていたのは好かった。
この船がいなかったら、救助作業はさらに困難になっていて、死者も11人ではすまなかっただろう。

 

映画は実際にこの事故から生還した人物のその後を伝えて終わっていく。
事故に至った経緯もきちんと描いていたが、大資本企業を告発するというスタンスではなく、あくまでもパニック・エンタメ映画というスタイルだった。
実際には、この爆発事故で流出した大量の原油がこのあと大きな問題になったのだった。

 

それにしても、邦題はあまりにもチープである。
この映画に限っては、それこそ映画会社お得意の”原題そのままカタカナ表記”でも好かったのではないだろうか。

 

「ザ・スピリット」 (2008年) この世界観について来られるかな

2008年 アメリカ 103分 
監督:フランク・ミラー
出演:ガブリエル・マクト、 サミュエル・L・ジャクソン、 エバ・メンデス、
    スカーレット・ヨハンソン

ビジュアルに凝ったアメコミの実写版。 ★★★

 

シン・シティ」のフランク・ミラー監督作品。
ストーリー云々というよりも、当時革新的といわれたビジュアルを見る作品だろうな、と思いながら鑑賞。
原作は現在のアメコミの基礎を作ったといわれるウィル・アイズナー

 

殉死した元警官デニーガブリエル・マクト)は”スピリット”となって蘇る。
どうやら彼は不死の身体になっているようなのだ。
マスクを付けて深夜の街の犯罪を撲滅するために戦い続けるぞ。

 

オープニングは夜の沼地での殺人事件。
シン・シティ」でもそうだったが、画面は白黒の2階調を強調して、そこに赤の差し色を効かせている。
とてもお洒落。
やはりこの画面、この雰囲気を楽しむ映画なのだろうな。

 

あらわれる宿敵のオクトパスにサミュエル・L・ジャクソン
言ってみれば、バットマンに対するジョーカーといった役回り。
彼は完全な不死を求めて、“ヘラクレスの血”を手に入れようとする。

 

そこに美女たちが絡む。
夜の時間しかないようなこの街には妖しげな美女が似合うのだよ。
スピリットのかっての彼女役にエバ・メンデス。
今はエロさをあたりじゅうにまき散らす悪女。こんな美女に絡まれたら、男たるもの、みんなとろけてしまうのではないだろうか。

 

コケティッシュな魅力だったのはオクトパスの部下(?)の科学者役に扮したスカーレット・ヨハンソン
いつもとはかなり異なる雰囲気で、初めは誰か判らなかった。

 

それに時々あらわれる美女の死に神。早くこちらにいらっしゃいと手招きをするのだが、彼女もまた妖艶。
こんな死に神なら、男たるもの、みんな付いて行ってしまうのではないだろうか。

 

とこういった画面で見せてくる物語はというと、はっきり言ってどうでもよいような代物。
そう、この映画は物語ではないのだよ。この映画は雰囲気なんだよ。

 

スピリットとオクトパスはどちらも不死の身体だから、二人が争っても決着はいつまでもつかない。
なんだ、こりゃ。
そもそもが、一度死んだデニーを生き返らせたのは、自分の実験材料に使ったオクトパスのようなのだ。

 

最後はそれなりの決着がついて、さあ、明日もこの街のために頑張るぞ、と終わっていく。
スピリットが本気で惚れているレディとは、彼を育んだこの街なのだ、とのこと。

 

フランク・ミラーでなければ、他の人には作れないような映画。
かなり観る人を選びます。
シン・シティ」が駄目だった人は、この映画も止めておかれる方がよいでしょう。

 

「煉獄エロイカ」 (1970年) 吉田喜重監督を偲んで

1970年 日本 118分 
監督:吉田喜重
出演:岡田茉莉子、 鴉田貝造、 岩崎加根子、 武内淳、 

ATGの政治的背景の意欲作。 ★★★★☆

 

先日亡くなった吉田喜重監督を偲んでこの作品を鑑賞。
日本のヌーベルバーグの立役者の一人で、彼も活躍したATGの作品はかなり観たものだった。

 

ATGは「良質のアート系映画をより多くの人々に届ける」という趣旨のもとに1961年に設立されている。
吉田喜重の他には大島渚今村昌平篠田正浩などが意欲的な映画を撮っていた。
この作品もそんな中のひとつ。

 

今は研究者として成功している主人公(鴉田貝造)の妻(岡田茉莉子)が、ある日、帰る家が分からないという少女を家に連れてくる。
するとその少女を追って謎の男が訪ねてきたりする。
そのことを契機に主人公は20年前の政治闘争の日々に迷い込んでいく。

 

戒厳令」、「エロス+虐殺」と合わせて吉田喜重の日本近代批判三部作とされるが、他の二作品が史実を元にしているのに対して、今作は全くの創作である。
その分、展開される世界は広かった。

 

本作が作られた1969年は、学生運動新左翼の政治闘争が最も盛んだった時期である。
全共闘安保闘争、羽田闘争、成田闘争、そしてベトナム戦争反対運動などが全国で展開されていた。
この空気感は、全共闘世代、団塊世代でないとなかなかに理解出来ないかもしれない。
ああいう時代があったのだ。
小説で言えば、柴田翔「されどわれらが日々」(芥川賞)や野口武彦「洪水の後」の時代である。

 

物語の時間軸も錯綜している。
1950年の政治闘争時代、1970年の研究者時代の今、そして未来の1980年、それらが入り乱れる。
主人公が時を超えるだけではなく、各時代の登場人物たちも別の時代にあらわれる。
もちろんそこには何の説明もない。ただ感覚で物語についていくといった感じになる。

 

映画全体を虚無的なシュールさがおおっている。
登場人物たちは現代詩のような台詞を棒読みのように話し続け、ハイキーな無機質な白黒映像が幾何学的な構図で映される。
そして登場人物たちはオブジェの大きな瓶を抱きしめたり、ヒ゜アノの鍵盤を足て゛叩いたり、ふいに裸体になって溝の中に横たわったりするのだ。

 

しかし、とにかくその映像の格好良さにはうたれる。
風景には温度を失ったかのような無機質さがあり、描かれる建物にはまったく生活感がない。
いや、建物ばかりではなく、登場人物たちからも生活感は失われている。
岡田茉莉子がさす四角い日傘も印象的だった。

 

その岡田茉莉子などの衣装デザインは森英恵。当時のモダンだった衣服は、今あらためて見てもお洒落だなと思う。
そして音楽が一柳彗。哀調に満ちた、そして不穏な感じも孕んだコーラスが奏でる曲はうっとりするほどに美しい。
ちなみに、日本映画の私の三大愛聴曲は、この「煉獄エロイカ」、「夢二」(ここでの曲はウォン・カーゥアイの「花様年華」でも使われた)、「砂の器」である。

 

タイトルの「煉獄」というのは、カトリックの教義では「罪人が償いを果たして浄化されるための苦しみの場」ということのようだ。
また、「エロイカ」はイタリア語では英雄を意味するとのこと。

 

この映画の物語を理解することはかなり難しい。というか、まず不可能に近いのではないだろうか。
強いていえば、かって政治闘争に加わっていた主人公の今に、その当時の悔恨や無念が襲ってきている。
そのことがどんな未来に向かうのか。そんなところなのだろう。

 

訳の分からない映画なのだが、退屈することはない。
物語をこえてた映像が、不思議な魅力をたたえている。そんな映画だった。

 

 

renngokueroika 

「Uボート」 (1981年) 潜水艦の本当を見せてやるぞ

1981年 西ドイツ 135分 
監督:ウォルフガング・ペーターゼン
出演:ユルケン・ブロフノウ

リアル潜水艦ものの傑作。 ★★★ 

 

第二次大戦のヨーロッパ戦線で、連合軍の補給路を断つために暗躍したのがドイツ軍の潜水艦、通称Uボート
この映画はそんなUボートの顛末をリアルに描いている。

 

1941年、ナチス占領下のフランスの港町から、一隻のUボートが出港する。
映画のほとんどの場面は狭い艦内。そこでの息詰まる人間ドラマである。
40名余りが乗り組んでいるのだが、潜水艦の内部は機能的というか、空間的余裕がないというか、とにかく狭いのだ。
閉塞感が精神状態まで支配してしまいそうである。

 

圧壊深度を確かめるための訓練もおこなわれる。
これは恐ろしいだろうなあ。いつ水圧に負けて艦がぐしゃっとつぶれるかわからない。
艦がきしむ音を聞くだけで、もう漏らしてしまいそうだよ(汗)。

 

敵の攻撃に遭遇して急速潜行するとき、乗組員は一斉に艦首に向かって艦内の狭い通路を走る。
艦首部分を重くして少しでも早く潜行しようというわけだ。
リアルである。なるほど、こんなことは知らなかったな。

 

潜水艦の閉塞感を高めるのが、外部の状況がまったく見えないというところ。
微かな音を聞き分けて、外では何が起こっているのかを判断しなければならない。
意を決して潜望鏡を使えば敵に発見されてしまう危険が増す。
恐ろしいなあ。

 

潜水艦映画に外れなし、とはよく言われる。
「レッドオクトーバーを追え」にしても「クリムゾンタイド」にしても、十分なエンタメ性があった。
古くは「眼下の敵」という傑作もあった。
(漫画では「沈黙の艦隊」が大好きである)
しかしこの映画は、そういったエンタメ性を廃してリアリティに徹している。

 

航海が長引くにつれて乗組員の髭が伸びてくる。もうむさ苦しい男たちばかりで、誰が誰やら分からないぞ。
この映画では潜水艦同士の戦いは描かれない。
そんな格好よい場面はなく、敵商船やタンカーを見つけては攻撃し、追ってくる駆逐艦からはひたすら逃げる、といった地味な(リアルな)物語なのだ。

 

敵の攻撃を受けて、深度計の目盛りを振り切った深さにまで沈降してしまう場面がある。
さあ、この深さから浮上することができるのか。
バッテリーはもう尽きそうだ、潜行するために取り入れた水を排出することはできるのか?
狭い艦内に充満する緊張感は半端ではなかった。

 
(最後のネタバレ)

 

厳しい状況をなんとか乗りきって、Uボートはやっと味方基地にたどりつく。
やれやれ、やっと生還できたぜ。
と、その港に敵機が襲ってくる。そして爆撃で艦も艦長もあっさりとやられてしまう。
海の戦いは耐えたというのに、抗いようのない空爆でやられるとは・・・。
皮肉な最後が、戦争というものの虚しさをよく伝えていた。

 

この映画をドイツが作ったということも意味がある。
エンタメものではない潜水艦映画として、傑作でしょう。

 

「リベンジャー 復讐者」 (2017年) 俺を異常だと思うか?

2017年 ブルガリア 86分 
監督:アイザック・フロレンティー
出演:アントニオ・バンデラス

復讐ものアクション。 ★★☆

 

愛する妻と娘を惨殺された敏腕弁護士が沈黙の誓いをたてて復讐する、言ってしまえばこれだけの物語。
犯人捜しの過程はともかくとして(上手くいきすぎる?)、それにいたるアクションを楽しむ作品。
尺も86分と短いし。

 

アントニオ・バンデラスは何故か贔屓の俳優。
先日の「オートマタ」に続いて、(B級アクションと思われる)この作品も鑑賞。
濃い顔の彼が出ていると、つい観てしまうんだよね。

 

巧みな話術で刑事事件の被告(中には、当然悪人もいたわけだ)を無罪にしてきたやり手弁護士のバンデラス。
仕事に追われて、つい愛する娘との約束を反故にしてしまったのだが、その日に妻と娘が惨殺されてしまった。
いったい誰がこんな酷いことを・・・。早く犯人を捕まえてくれ!

 

しかし、警察の捜査はまったく進まない。このままじゃ迷宮入りになってしまいそうだぞ。
そこで一念発起したバンデラス、おのれの肉体を鍛えはじめる。
さまざまなマシーンを使っての筋トレ、空手や日本武術の鍛錬。
おお、みるみるうちにバンデラスがマッチョ体型になっていくぞ。
おのれ、この恨み、はらさないでおくものか。警察があてにならないなら俺が恨みを晴らしてやる!

 

絡んできた4人組チンピラなんて、返り討ちだっ。
バンデラスの見事なアクション場面も出てきて、おお、やるなあ、鍛えてきたからもう無敵だぞ。
でも、くそっ、銃で腹を撃たれてしまったぜ。

 

すると、ちゃんと助けてくれる通りがかりのER勤務の看護師も登場する。
ワイシャツ1枚羽織っただけの彼女が朝食を作ってくれたりして、おいおい、愛する奥さんがいたのに、いいのか? 

 

2000年前のマルクス・アウレウスの「自省録」の言葉をなぞったストーリー展開は面白い。
そして一人で現場を調べ直したりしたバンデラスは、事件の夜の目撃者も探し当てる。
マフィアが跋扈する地域だったが、犯人はなんと・・・。
お前が犯人だったのか。それにしても、どうしてあんなことを?

 

復讐を誓ったバンデラスは、言葉を発しないという誓いを立てる。
これには、舌先三寸の仕事にかまけていた間に妻・娘が殺されてしまったことへの反動もあった。
さらには、アウレウスの自省録にあった”言葉よりも実際の行動が大事だ”を実行していることにもなっている。

 

ま、ありがちと言ってしまえばそれまでのストーリー。
しかし、贔屓のバンデラスが終始、苦虫噛みつぶしの眉引きつらしての頑張りなので、結構引き付けられて観た。
彼のファンなら満足の映画でしょう。ファンでなければ、・・・それなりの映画です。