あきりんの映画生活

映画鑑賞だけのブログです。★★★★が満点評価ですが、ときに思い入れ加算があります。約2000本の映画について載せていますので、お目当ての作品を検索で探してください。監督名、主演俳優名でも検索できます。

「太陽はひとりぼっち」 (1962年9

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1962年 イタリア 124分
監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
出演:モニカ・ヴィッティ、 アラン・ドロン

★★★★★

高校生時代に初めてこの映画を観て、わたしの美意識は大きな影響を受けた。
なんて美しく、そして、なんて豊かに物語が含まれている映画だろう、と感嘆した。
私にとっては、不動の五つ★評価の映画である。

婚約者との破局を迎えたヴィットリア(モニカ・ヴィッティ)は、証券取引所の喧噪のなかでピエロ(アラン・ドロン)と知り合う。
二人は街を彷徨い、いくつもの電話の受話器をはずしたピエロの事務所で結ばれ、明日も会う約束をする・・・。

と、ストーリーだけを書けばこんな風になってしまうが、この映画の一番の魅力はストーリーの周りに漂っている雰囲気である。

たとえば、夜を徹しての実りのない諍いがあったであろう夜明け、窓のカーテンを開けると、窓の外には茸のような奇妙な形の建物が見えている。
眠り足りなくて身体はけだるいのに、妙に意識が醒めているような、白々しい夜明けだ。
この感覚が映画全体に流れている。
すなわち、だるくて動作は緩慢なのだが、それでも眠ることが出来ずに誰かを求めている、そんなことだ。

M・アントニオーニは愛の不毛を描く監督だといわれている。
しかし、愛の不毛とは一体何なのだろう?
人を愛するのだけれども、その愛し方、愛する内容が不毛なのだろうか、それとも、愛するという行為そのものが不毛なのだろうか。

ヴィットリアはあっけらかんと笑い転げたかと思うと、次の瞬間には無表情に虚空を見つめている。
さっきまでの嬌笑はなんだったのかと、寂寥感が襲う。
女友達とふざけあい、それが笑いころげる時間であればあるほど、そのあとに訪れる静寂が寂しいのだ。
モニカ・ヴィッティの倦怠感を漂わせた美しさは、他の誰にも追従を許さない。

ヴィットリアはいろいろな事柄についての気持ちを聞かれると、いつも「わからない」と答える。
ピエロが求めるものを、ヴィットリアは差し出すことは出来ないだろう。
彼女は自分が何を持っているのかも分かっていないからだ。
そして、ヴィットリアはピエロになにを求めたらよいのかも分かっていないだろう。
だから、ただ彷徨っているだけなのだ。心は気怠いままなのだ。

ジョバンニ・フスコの主題歌も印象的だが、劇中では1回だけ、ピエロの部屋のラジオから流れるという趣向になっている。

ピエロとヴィットリアは、明日も会おう、その次の日も、と約束をする。
それから画面では二人が彷徨った風景が延々と映しだされる。
あの証券取引所の喧噪と対比されるように、誰もいない風景だ。

工事現場に架けられたシートが風に揺れている、
その角の雨水がたまったドラム缶にはピエロが置いた木ぎれが浮いている、
馬車が通りすぎる、
日暮れて郊外の道路に並ぶ街灯に灯りがともる、
そしてまぶしい太陽のようにその街灯の一つが画面全体をおおう、
そして、FIN。

なんと美しい風景であることか。
思わずためていた息を、FINの文字とともにゆっくりと吐く。

この最後の10分間の風景を、ヴィットリアの心象風景ととらえることも可能であろう。
ピエロと二人で彷徨った風景なのだが、やはりそこに二人の姿はなかったのだ。

この映画のことを書こうとして、はたと困惑する。
この映画の魅力は決してこんな程度のものではないのだから。