2004年 アメリカ 120分
監督:シェイニー・ゲイベル
出演:スカーレット・ヨハンソン、 ジョン・トラボルタ
少女の再生ドラマ。 ★★☆
生後すぐに祖母に預けられ、両親を知らずに育ったパーシー(スカーレット・ヨハンソン)。
今はトレーラーハウスで男友達と暮らしていたそんな彼女に、母が亡くなったとの報せが届く。
これからは母が遺した実家で暮らそうと、男を捨てて(!)パーシーはニューオリンズに帰ってくる。
するとその家には、元大学教授のボビー・ロング(ジョン・トラボルタ)と、作家志望の青年ローソンが住んでいた。
あなたたちはだあれ? この家から出て行って頂戴。
我々はお母さんの友人だ、お母さんの遺言で我々にもこの家に住む権利があるんだ。
こうして、高校も止めてしまったような自堕落な少女、初老でアルコール中毒の学者、割とまともで真面目な青年、の3人の共同生活が始まる。
南部の田舎町ののどかな風景が、適度に古びていて、どこか郷愁を呼ぶ。いいなあ。
そこに住む人たちはみんな気がいい。
パーシーは故郷の人々によって母親のことをあらためて知っていく。
スカーレット・ヨハンソンが20歳の時の作品。
前年にはすでに英国アカデミー賞主演女優賞も獲っており、彼女の魅力はこの頃には十二分に発揮されている。
一方のトラボルタはこのとき50歳。
白髪の彼はふてぶてしい悪党役でなくても、ちゃんと存在感があった。さすが。
(それにスロー・バラードだったけれどもトラボルタが踊ってみせるのだ。さすがに片手を挙げたポーズは決めていなかったが 笑)
アル中男二人はとにかく覇気がない。
酒場でくだをまき、庭でギターを弾いて、とにかく仲間とのんべんだらりとやっている。
こんな男たちとパーシーの共同生活なんてどうなるかと思ってしまう。
なにしろ魅力いっぱいのスカヨハだぜ。そんなに胸が強調された服じゃなくていいのに。
なにせ、お前は処女じゃないだろ、なんて絡んでくるオヤジだぜ。
ところが、彼らは真面目にパーシーに学業を再開させるのだ。おやおや。
結局、悪い人は一人も出てこない物語。
しかし、映画自体はどうもパッとしない。
母親は一度も画面には出て来ないのだが、その母親とパーシーのかっての確執がどんなものであったのかは明かされない。
だからパーシーが母親のことを聞かされていても、その感情がこちらにはつかみにくい。
それにボビーの人間性の描き方も中途半端。
基本的には善人なのだが、どうもその人間性の魅力が伝わってこない。
ということで、なんとも起伏には乏しい物語なのだ。
そして、およそ思っていた通りの展開となっていく。
母が残したラブソングに添えられた手紙で、(予想していた通りの)人間関係が明らかになってくる。
なんだ、やっぱりそうかよ。
(無いものねだり)
パーシーを追いかけて(素行不良そうな)元カレがやって来た場面。
彼女に復縁を拒否されてあっさりと引き下がっていったけれど、どうせならボビーと対決させて欲しかった。
ボビーがパーシーのために身体を張って頑張ってみせる、という画面が欲しかったな。
まあ、スカヨハがちょっと小悪魔的に可愛らしくて、それが堪能できただけで好かった作品。
それ以外は、狙いはミエミエだけれども、あまり成功したとは言えない気がする。
原題は「ボビー・ロングに捧げられたラブソング」でした。
(追記)
同じ年に20歳のスカヨハが出ている映画に「理想の女(ひと)」があります。
40歳のヘレン・ハントとの共演で、惹き文句は「理想の女は、すべてを知り尽くした女(ハントのことです)と、何も知らない無垢な女(スカヨハのことです)だ」です。
こちらは物語がしっかりとした作品でした。