記憶喪失の世界で。 ★★★☆
立派な髭をたくわえた男が壁に自分の頭を何度も打ちすえている。
何か辛いことがあったのか、何か耐え難いことでもあったのか・・・。
そして彼は夜のバスの中ですべての記憶をなくしてしまうのである。
自分の名前も住んでいた家も、家族も生い立ちも、何も覚えていない。
バスの運転手の通報によって病院に収容された彼は、検査の結果、記憶喪失者だと認定される。
音楽もない静かな画面で、少し奇妙な世界での少し奇妙な物語が展開される。
この世界では記憶喪失者は至るところにあらわれて、もう治ることはないようなのだ。
記憶喪失の原因は語られない、それによって社会全体がどんな風に変化したのか、そんなことも語られない。
映画はただ記憶喪失になった男の姿を描いていく。
病院が用意してくれたアパートで暮らしながら、主治医の勧めによって、男は記憶喪失者のためのプログラム「新しい自分」に参加する。
彼は、送られてくるカセットテープに吹き込まれた指示に従って、ミッションをおこなう。そしてそれをポラロイド・カメラで写してアルバムに貼っていく。
ミッションは少し変わっていて、、自転車に乗ること、仮装パーティで友だちをつくること、ホラー映画を観ること、などなど。
記憶はもう戻らないのだから、新しい記憶をこうして作っていくのですよ。
そのうちに彼は同じように「新しい自分」プログラムをおこなっている女性と知り合う。
一緒にドライブに行き、わざと立木に車をぶつける事故を起こし、・・・。
親しくなった彼女はトイレで彼を誘惑する。
しかし実はそれもプログラムの指示だったのだ。彼にも同じ指示が来たことがあったのだ。
彼女に失望したかのような彼。
最後の場面、男は最後に自分の部屋に戻ってくる。そして女物のブラウスをクローゼットにしまうのである。
あれ? 彼は自分の部屋を覚えていた?
すると、映画の途中で何か妙だなと引っかかっていたことが甦ってくる。
(以下、この映画に関する個人的な考察です。ネタバレになるかもしれません)
何故か彼は近所に住んでいた犬の名前を無意識のうちに呼んでいた。犬の名前を知っていた、覚えていた・・・。
住所を尋ねられた時に、それまで住んでいた番地を言いかけた・・・。
えっ、彼は記憶喪失者ではない? ふりをしていただけ? どうして?
女物の服をしまう仕草から、彼は大事な女性を失ったように思える。
奥さん、あるいは恋人がが亡くなったのかもしれない。
冒頭の苦しむ様子はそれによるもので、その苦しみから逃れるために、彼はこれまでの記憶を捨てようとしたのではないだろうか。
さらに大胆な考察をするのであれば・・・。
知り合った記憶喪失の女性は、実はその奥さん(恋人)だったのではないだろうか。
自分のことをすっかり忘れてしまった奥さん(恋人)だったとすれば、それもまた辛いことだ。
いろいろな解釈を観る者にゆだねる映画だった。
静かに謎めいていて、どこかもの悲しいのだが、その一方で無表情の主人公がやや滑稽に思える場面もあった。
すべては淡々と描かれるのだが、奇妙な違和感もあとに残していく映画だった。
ケイト・ブランシェットがこの映画を絶賛しているとのこと。
そしてこの監督の次回作のプロデュースを申し込んでいるとのこと。
映画祭の審査員を務めるほどのブランシェット、なにかぴんと来るものがあったのだろう。