あきりんの映画生活

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「脳内ニューヨーク」 (2008年)

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2008年 アメリカ 124分
監督:チャーリー・カウフマン
出演:フィリップ・シーモア・ホフマン、 サマンサ・モートン

虚構の街の人生とは? ★★★

舞台演出家のケイデン・コタード(フィリップ・シーモア・ホフマン)は才能はあるのだが、家族には逃げられ、原因不明の奇病にもとりつかれる。
死を予感した彼は、ニューヨークの街の巨大なセットを作り、自分自身の生活を演劇化することに挑戦する。

マルコヴィッチの穴」や「エターナル・サンシャイン」の脚本で知られるチャーリー・カウフマンの初監督作品ということで、それなりの期待を持って観に行く。
結果は一言でいうと、あれ?という感じであった。
もう少しぐちゃぐちゃになっているのを期待していたのだが、思っていたよりずっとまともな作り方であった。

しかし、筋立てというか、狙いはさすがに面白い。
自分自身に起こった出来事を演劇化するのだから、その演劇を演出している自分も俳優が演じなければならない。
その劇を演出している自分を演じている役者を演出しているわけだが、そのことも劇化されなくてはならないわけだ。
まるで自分自身との追いかけっこをしているようで、どちらが本当の自分なのかも定かでなくなれば、当然のようにケイデンに流れる時間観念もあやふやになっていく。

結局、ケイデンが造りあげようとしたニューヨークは何だったのだろう?
他人が自分を演じることによって、本当の自分も舞台の中で生きているだけの存在になっていく。それはかなり辛いことのように思える。
一方で、他人を演じる役者も、自分を捨てて他人になりきるわけだから、自分がどこにも居なくなってしまう。それも辛いことである。

それほどまでにして造りあげた人工の街で生きることを望まなければならなかったのは、何故だろうか?

不満としては、断片の謎が解きほぐされて、わけのわからない混乱が次第に形を取っていく、といった興奮が少なかったこと。残念。
カウフマンはシナリオだけに専念して、監督は誰か他の人にやってもらった方がイメージが広がって良いのかも知れない、と思ったりもした。

フィリップ・シーモアが、ジャック。ニコルソンに見えて仕方なかったのは私だけだろうか?
ハマル人と、眠くなる人に分かれる映画でしょう。