1981年 アメリカ 109分
監督:ピーター・ハイアムズ
出演:ショーン・コネリー、 ピーター・ボイル、 フランセス・スターンヘイゲン
SF西部劇。 ★★
木星の衛星イオに建設されている鉱山を舞台にしたアクション映画なのだが、その設定は西部劇そのもの。
採掘会社の効率を上げようとして覚醒剤を不法に使用していた基地の支配人(ピ-ター・ボイル)は、西部の街を牛耳っている悪の顔役といったところ。
正義の味方である保安官(ショーン・コネリー)は、家族に去られながらも、敢然とその顔役に立ち向かうわけだ。
なんというか、B級映画の匂いがあちらこちらに漂っている。
なるほどというような新鮮みがどこにもなく、しかも、地味。
わずかに、保安官を何気なく助けるアルコール中毒の女医がいい雰囲気を出していた。全く美人ではないおばさんといった風情がよかった。
宇宙基地のセットはなかなか本格的で、安っぺらな印象ではなかった。
ただ、私は全くその手の映画は観ないのでわからないのだが、「エイリアン」の美術とそっくり同じとの評を眼にした。なあんだ、それも真似ものだったのかい?
次の定期便(もちろん駅馬車ではなくて宇宙ロケット(笑))で殺し屋がやってくるという情報をつかんだ保安官は、協力者を捜すのだが誰も助けてはくれない。
(情報を調べるためのコンピューターは、今となっては懐かしいDOSコマンドの入力による操作だった! これは30年前の映画なのでご愛敬。)
保安官はたった一人で殺し屋と対決しなければならないのだ。ホント、笑えてくるぐらいに西部劇の設定そのままだ。
武器は西部開拓時代にもあったのではないかというような(まさか)、ショットガン。
レーザー銃とかビーム・サーベルとか、なんかそれらしいものは考えなかったのだろうか。
やがてクライマックスの二人の殺し屋との対決なのだが、基地でショットガンを撃ったら壁に穴が空いてあっという間に大変なことになってしまった。
おいおい、そんな状況設定で銃を使う殺し屋っているのかよ。
ショーン・コネリーは確かに渋いのだが、それを凌駕してあまりにお粗末な物語展開。
彼もよくもまあ、こんな作品に出演したものだと思う。
まさか西部劇のパロディという意識で作ったのではないだろうなあ。一応真面目に作った映画なのだろうとは思うのだが・・・。
ここまでくると、逆に感心してしまうほど。
(このレビューを読んで、どれほどのものかと、かえって観たくなる人がいるか、な?)