あきりんの映画生活

映画鑑賞だけのブログです。★★★★が満点評価ですが、ときに思い入れ加算があります。約2000本の映画について載せていますので、お目当ての作品を検索で探してください。監督名、主演俳優名でも検索できます。

「鬼火」 (1963年) 希死念慮にとりつかれた男

1963年 フランス 108分
監督:ルイ・マル
出演:モーリス・ロネ、 ジャンヌ・モロー

虚無を抱いての彷徨。 ★★☆

 

アル中治療のため療養所暮らしをしている主人公のアラン(モーリス・ロネ)。
彼は抑鬱状態から希死念慮にとりつかれている。
そんなアランが、外出したパリの街で旧友たちと再会したりする最後の2日間を描いている。

 

今からおよそ60年前にルイ・マルが撮った映画。
死刑台のエレベーター」で見せたサスペンス的な緊張感とは異なり、鬱状態にとらわれた一人の男の彷徨を描いている。
こちらには精神的な緊張感がある。

 

生きる意味を見失っているアラン。
彼の自室の鏡には死ぬ事に決めた日付が書かれている。
そしてマリリン・モンローの自殺の記事の切り抜きが張ってあったりする。

 

アランには華やかな女性関係があったようで、今も好意をよせてくれる女性も少なからずいる。
しかし、そんなラブ・アフェアもアランには虚しいだけとなっている。
広い交友関係もあったようで、会いに行った友人たちは皆アランを心配してくれる。
しかし、そんな彼らの言葉もアランには届かなくなっている。

 

生活に困ることもない身の上で、ただ自分の存在意義が見いだせないということに苦悩している。
これを、自分勝手だ、甘えだ、贅沢な悩みだ、と言ってしまうことはたやすいだろう。
しかし、この映画はそうした周囲の環境のすべてが整った上での苦悩を描いているのだ。
外的環境のせいではない、どこまでも一人の人間の自分の内部から生じる苦悩、なのである。
それだけ純粋な苦悩ということも出来るだろう。

 

音楽にはエリック・サティの「ジムノペディ」などが使われていた。
そのどこかつかみ所のない美しい旋律がよく合っていた。

 

2日間のかっての知人たちとの再会もアランには何ももたらさなかった。
ただ自分が抱えている虚無感を確認しただけのようだった。
最後、アランは静かに自らに銃口を向けるのだ。

 

原題を直訳すると「ひと握りの火」ということらしい。なるほど。
邦題の「鬼火」だと、なんだか怪談めいてしまう気がするのは私だけ?
ヴェネチア映画祭で審査員特別賞を受賞しています。