2022年 スウェーデン 147分
監督:リューベン・オストルンド
出演:ハリス・ディキンソン、 コーナーチャールビ・ディーン
シニカルな人間ドラマ。 ★★★☆
主人公はインフルエンサーの美人モデル・ヤヤと、いまひとつ芽がでない男性モデル・カールのカップル。
しかしこの二人は主人公というよりも、物語を展開するための狂言回しのようなもの。
映画は人間社会のヒエラルキーの愚かしさを皮肉たっぷりに描いている。
3部構成になっていて、1.は「カールとヤヤ」。
二人はレストランでの食事代をどちらが払うかで面倒くさい言い合いを続ける。
付き合っているのに、互いにマウントを取り合う。
おいおい、君たちの間に愛はないんか? 観ていても馬鹿馬鹿しいぞ。
しかしこのマウントの取り合いというのは人間社会では(猿社会でもあるそうだが)は不可避のことらしい。
そして自分がヒエラルキーのどの位置にいるのかを確かめていないと不安になるらしいのだ。
そんなものなのか・・・。
2.は「ヨット」。
舞台はインフルエンサーのヤヤが招待された豪華客船。その旅にカールもお供で参加している。
船内には客の金持ちたちと、ひたすら客に仕える乗組員がいる。
ここでのヒエラルキーの基準は単純明快にお金。
金持ちたちはお金を見せびらかして乗組員に無理難題をふっかける。接客クルーたちはお金のためだったら何でもするのだ。
現代社会の戯画的な縮図となっている。
そんな社会の有様を揶揄しているのが、嵐の晩に行われたキャプテン・ディナー。
船長が主催の正式晩餐会で、客たちは正装で出席するしきたり。ところが、その晩は嵐だったのだ。
船は大揺れとなり、船酔い者続出。
ディナー会場の至るところで着飾った金持ちたちが嘔吐しまくる。大揺れの船のトイレからは海水と一緒に汚物が流れ出す。
ここまで映すの?というほどに、特権階級の人物たちの見栄も外聞もない阿鼻叫喚状態である。すさまじいなあ。
で、3.は「島」。
なんということか、豪華客船は海賊に襲われて爆破され沈没してしまうのだ。
少数の人たちだけが無人島に流れ着くのだが、何もない島なので当然のことながらそれまでのお金による階級社会は意味を失う。
無人島では、魚を捕って食料を調達したり、火をおこしたり、といったサバイバル能力が価値なのだ。それによるヒエラルキーが生じるのだ。
ここで頂点に立つのは、客船のトイレ清掃係だったアビゲイル。
サバイバル能力に秀でていた彼女は皆よりも一段高い場所に座り、彼女をキャプテンだと答えた人にだけ獲ってきたタコの欠片を分け与える。
この高価な時計や宝石をあげるからといわれても、そんなものはこの島では無価値なのだよ。
原題を直訳すると「悲しみの三角」。これだけでは何のことか分かりにくいが、美容用語で眉間にできる皺を指すとのこと。
冒頭のモデル・オーディション場面で表情を作るときに使っていた言葉だった(モデル界では、男よりも女の方が価値があるのだ)。
この映画、人間社会の階級制度をこれでもかと皮肉っている。
人間の価値基準て、いったい何だ? どんな人がエライのだ?
映画の最後、島の探検に出かけたヤヤとアビゲイルは島の大きな秘密を知ってしまう。
そして人間の性(さが)に迫る映像で映画は終わっていく。
これは面白かった。引き込まれて観終わったのだが、あとで147分もあったと知った。
まったくその長さは感じさせなかった。力量がある。
カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞しています。この監督は2年連続での受賞。すごい監督なのだな。