1997年 イギリス 97分
監督:マルレーン・ゴリス
出演:ヴァネッサ・レッドグレーヴ、 ナターシャ・マケルホーン
ヴァージニア・ウルフの同名小説の映画化。 ★★★★
イギリス上流社会を舞台にした純文学ものなので、退屈かなあと、それほど期待しないで観たのですが、なかなかどうして、好い作品でした。
第一次世界大戦後のロンドンで、クラリッサ(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)は今夜のパーティの準備をしています。
メイドに部屋の飾り付けを命じたり、花を買いに出かけたり、古くからの友人に出会ったり。
そんなことをしながら、クラリッサは若かった頃の日々を回想します。
今は政治家夫人としてダロウェイ夫人と呼ばれる自分ですが、30年前に求婚してくれた情熱的なピーター(ルバート・グレイブス)と結婚していたらどうなっていただろうと、考えたりもするのでした。
イギリスの上流社会の優雅な、しかしうわべに大きくとらわれた生活が舞台です。
クラリッサは自分が開催したパーティが成功しているのかどうかを常に気にしています。
招待した人の顔ぶれでパーティの評価が決まるなんて、今の日本の生活からすれば笑止なことですが、クラリッサにとっては重大事なのでした。
パーティとは人生での人との交流の雛形なのでしょうか。誰と出会い、誰とどんな風な会話をして、誰と騙しあって、誰と本音を語るのか。
だから、パーティが成功なのかどうかということは、自分の人生が満足に値する成功したものかどうか、ということと同じことなのでしょう。
クラリッサはダロウェイ夫人となって生きてきたことを後悔していたのでしょうか?
ピーターと結婚していたら、と考えてしまう今の人生は満足できているものなのでしょうか。
これについては最後までよくわかりませんでした。
明確に答えの出せるようなものでもないし、自分の考え方次第で答えはいくらでも変わるような気もするし、考えても仕方がないことでもあるし、といった曖昧な、気分的なものなのでしょう。
クラリッサの1日と並行して、戦争による精神不安を抱えた夫とその妻の1日も描かれます。
両者の物語が直接関係することはありませんが、この夫の抱えた不安感がクラリッサの微妙な気持ちをより際立たせていました。
2002年に作られた「めぐりあう時間たち」は、巧みに小説「ダロウェイ夫人」を題材にしながら全く別の映画作品として成功していました。
私は原作小説を読んでいなかったので、この映画「ダロウェイ夫人」を観ることによって、あらためて「めぐりあう時間たち」の良さを再確認したようなところもありました。
あの映画では3つの時代の3人の女性が描かれていましたが、この映画のクラリッサが抱えていたいろいろな要素をそれぞれの女性があらわしていたのではないかと考えられました。
あるいは、クラリッサがピーターと結婚していたら辿ったであろう人生が、ジュリアン・ムーアが演じたローラだったのかもしれません。それぞれの人生を辿った二人のクラリッサが最後に出会っていたというようにも考えられました。
細やかな心理描写の積み重ねで構築された重厚な物語を観た、という気持ちになる作品です。
クラリッサの若い頃を演じたナターシャ・マケルホーンは、とても華のある女優でした。
調べてみると、ソダーバーグ監督の「ソラリス」でジョージ・クルーニーの奥さん役の人でした。