2016年 日本 125分
監督:中野量太
出演:宮沢りえ、 杉咲花、 オダギリジョー
母親は強かった。 ★★★
双葉(宮沢りえ)は大変だった。
なにしろ夫(オダギリ・ジョー)はふらっと蒸発してしまって、家業の銭湯は休業状態。
中学生の娘、安澄はイジメにあっている。
そんな大変な日々に、なんと自分が末期癌で余命2ヵ月と宣告されてしまう。
この映画は、宮沢りえ演じる母親の、周りの人を思っての信念の行動にすべてがある。
自分が生きている間に、自分が生きている間にしておかなくてはならないことがある。
夫を探し出して銭湯を再開させなくては。
安澄にはある人に会わせておかなくては。
夫は別の女性との間に生まれた幼い子も連れて戻ってくる。双葉はこの子も受け入れる。
この子が健気だった。
新しい家族に囲まれながらも、それでも自分を捨てた実母をひたすらに慕っている。
この子の誕生日を祝って皆でしゃぶしゃぶを食べる場面があるのだが、ここは思わず涙腺が緩んでしまった。
(以下、ネタバレ)
安澄はなぜか手話を知っていた。
話すことのできない君枝さんが、何故手話ができるの?と尋ねる。
安澄が答える、母が、いつか役に立つときがあるから、と言って勉強させられた。
これにはやられた。
こうして、この映画では実の母との関係が破綻している女性ばかりが登場する。
安澄も切ない。そして実は双葉自身も切なかったのだ。
それにひきかえ、この映画に登場する男性は夫をはじめとしてどこか頼りない。
憎めない探偵さんや、旅の途中で知り合う自分探しの青年も。
しかし彼らも双葉のわが身を省みずに尽くすような愛情にうたれていくのだ。
単なる余命いくばくかのヒロインの物語ではなかった。
たしかに筋立てとしてはそうなのだが、余命の過ごし方がとても熱かったのだ。
ラスト、銭湯の煙突からは赤い煙が出た。ということは・・・。
う~ん、タイトルはそういうことだったのか。妙なタイトルだと思っていたが、そういうことだったのか。